英雄と一緒




 「やあルック、こんにちは」
 「……あんたを迎えにいった覚えはないよ」
 ビクトリア城石版前。
 相変らず不機嫌そうに石版の前に立っていたルックに唯一客人として出入りする『トランの英雄』タクト・マクドールがにこやかに話しかける。
 「それはそうだろうね。なにせ今日は自主的に来ましたから」
 「暇そうでなによりだけど、邪魔だからどっか別のところ行ってくれる?」
 遠慮のないその言葉に、目を細める。笑っているのか怒っているのか微妙だが、ルックにはそれが笑っていると確信する。
 「邪魔にされて喜ぶとはね。あんたの変態ぶりもますます磨きがかかってきたようだね」
 「いえいえ。僕を知っていて、そんな態度に出るルックが楽しくて」
 左手でぱたぱたと手を振りながら、右手ではさりげなく棍を握りなおしている。
 油断なくその様子を視界のすみに収めながら、こちらもさりげなく杖に魔力を集中させ、ひるむことなく言葉を続ける。
 「記憶力がないようだからもう一度言ってあげるよ。邪魔だから、どこかへ行ってくれる」
 「そういうわけにはいきません」
 やはり魔力の流れに気づきながら優雅に首を振るタクト。
 「今日は、ルックにお願いがあって来たのですから。いてくれて、正直助かった」
 「……なんだって」
 嫌な予感に、本能の命ずるまま溜めた魔力をテレポートとして開放しようとする。
 「待った」
 が、動きを読まれていたらしく右手をしっかりと握られる。
 「……触らないでくれる」
 「放したら逃げちゃうでしょう? というか、話ぐらい聞きなよ」
 「どうせロクでもないことだろ」
 「そんなことはありません。ただ」
 言ってくすりと笑う。
 ますます顔をしかめるルックに余計に嬉しそうに目をきらめかせ、お願いする。
 「ただ、ハイランドのルルノイエまで連れて行って欲しいんです」




 「………………馬鹿じゃないの」
 しばしの無言の後、吐き出されたルックの声には苦渋が溢れかえっていた。
 「僕、敵対国の魔法兵団長なんだけど」
 「そうだね」
 「お互い諜報のやりとりぐらいはしてるの、あんたなら知ってるよね」
 「三年前は僕も実際に指示したしね」
 「敵将の顔ぐらいは」
 「情報に入ってくるね」
 「おまけに何度も戦争に出てるとあれば」
 「確実に顔われてそうですね」
 「そこまで分かってて」
 「お願いしてるんです」
 「断る。面倒な事はごめんだね」
 「いいじゃないですか。ビッキーが飛ばしてくれるなら彼女に頼むけど、ルルノイエとあってはルックに頼むしかないの、分かってるでしょう?」
 「僕にも無理だ」
 「嘘つき」
 「根拠は」
 「本当ならいっそ、ルックは素直にそういわないでしょう」
 「なにそれ」
 「天邪鬼さん。分かりやすくていいけどね」
 「……とにかく、どうしても行きたいなら歩いていけ」
 「関所が封じられているのもしってるくせに」
 「あんたならその関所を簡単に突破することも知ってるよ。気づかれずにね」
 「それはそうですが。駄目なんですよそれじゃ」
 「あんたの都合なんか知らないよ」
 「帰りが遅いとグレミオが心配する」
 「言っていけばいいだろ。子供じゃあるまいし」
 「そしたらついてきちゃうもん」
 「つまり、結局はあんたの我儘だよね」
 「………………ルック」
 埒の明かない会話に、にこやかだったタクトの表情が沈む。
 秀麗な顔を曇らせ、潤んだ瞳でじっとルックを見つめだす。
 「何さ」
 「こんなにお願いしてるのに、駄目?」
 「あんたのその胡散臭い表情に、この僕が騙されるとでも?」
 どこかの大統領なら一発で篭絡できるんだろうけど?
 皮肉満載のその口調に、ち、と舌打ちをする。その顔に先程の憂いの影などは微塵もない。
 「……時間もないですし仕方ないですね……ルック、本当に、真面目な、お願いなんです」
 更に表情を一変し、今度は打って変わって真摯な態度で再度申し込む。
 すると、初めてルックに迷うような色が見えた。
 「……仕方ないね」
 諦めたようにため息をつき、再びロッドをかざす。
 「ありがとう。じゃあコレを」
 そういって懐から出したのは一枚の封筒。
 いぶかしむルックを尻目にさっさとそれを石版の前に置き、飛ばないよう同時に出した石で重しとする。
 そして、柔らかな緑の光が二人を包んだ後、石版の前には小さな封筒だけが残されていた。




 「ルックー、でかけるよーって、アレ?」
 ようやく軍師監視の下、書類地獄から抜け出したシュウユウは、いつものようにルックを拉致ろうと石版の真上から身を乗り出して、その不在に気づく。
 「ご飯かなーそんな時間でもないけど……あ?」
 封筒を見つけ、ひょいっとそのまま階段を使わずジャンプ、拾い上げる。宛名には流麗な、見なれぬ字で『シュウユウへ』。
 敬称も何もないその宛名と字体から、なんとなく差出人を予期しつつも開封。
 
 『風の妖精は攫いました。返して欲しければなにもしないで待っていて下さい。長くても2、3日で済みますので、無駄な努力はしない方がいいと助言します。いい子にはお土産があります』
 
 ……。
 読み終え、くしゃりと思わず手紙を握りしめる。
 「……ねえ、ジュドさん。さっきここにタクトいたよね?」
 俯いた顔のまま、恐らく一部始終を見ていただろうジュドに尋ねる。
 差出人の名は書いてなかったが、間違いなくタクトだと彼の脳が告げていた。
 壁に背をあずけ、なにやら木片を弄んでいたジュドが頷く。
 「あ、あのバンダナの英雄さん? うん、さっきいきなりきてルック君の手を握ったかと思うと二人でどこかへ行ったよ」
 「そう、ありがとう」
 お礼をいい、そっと広間を後にする。
 「…………畜生、二人だけで楽しそうなことしやがって…………」
 問題はそこらしい。



 緑の光が消えたそこには、やはり緑があった。
 「……ルック、ここ、草原に見えるけど? ついでに遠くにビクトリア城とサウスウィンドウ」
 失敗? と朗らかに聞いてみると、むっとした表情に相応しい花のないバラのような声で
 「そんなわけないだろ。わざとここに来たんだよ」
 矜持に触ったらしいその態度には手をあげて謝罪を表わし、次の疑問を口にする。
 「じゃあなんで?」
 「分かってるだろ? あんたがなんでルルノイエに行きたいのか聞いてないからね。ああ、予想しておきながら聞かれるのは腹が立つから先に言うけど、あそこで聞かなかったのはさっきも言った諜報がいるかもしれないからだよ。分かったら僕の質問に答えてもらうよ」
 その言葉通り、更に問いだそうとしたことを先に言われ、苦笑するタクト。真っ直ぐこちらを見る眼差しに、逃げられないかと諦め、口を開く。
 「ジョウイ君にね、会いたいんだ」
 穏やかに告げられた予想通りの答えに納得することなく、今度はその理由を求める。
 「仮にも敵の総大将だからね。必ず聞かせてもらうよ」
 「ルックにしては積極的だね」
 「誤魔化されるつもりはない、と言ったんだけど?」
 「……別に明確な理由はない。ただ、会いたいんです。シュウユウと分け合った真の紋章の片割れを宿すその少年に」
 完璧な笑顔、そして一切の感情の無い笑顔で告げられた言葉に、想いを推測できず、眉を顰める。
 「その顔は虫唾が走ると前にいったよ……会って、話して、それでおしまい?」
 「ミステリアスが僕の売りなので……心配しなくても、そんなむやみに他の紋章憑きを食べたがるほど僕のソウル君は……あ、なに? 興味あるのかい? そう、美味しいの?」
 会話の途中でなにやら右の甲に向けしゃべりだすタクト。演技かいまいち計り知れない。
 「そこ、僕に用事がないなら帰るよ」
 「駄目だよまだそれは我慢……ああ、ごめんルック。そんなわけだからお願い?」
 我慢ってなんだ。
 しかもまだって。
 思わずつっこみたくなるがあえてそこは無視し、消えた。
 「え?」
 思わず呆然とするタクト。
 捕まえる間もなくの移動速度もそうだが、なんだかんだ言って結局見捨てられることはないだろうと思っていたに。
 けれど、目の前にはもはや光の名残すら無く。
 「……甘かった、かな……」
 ぽつり、と呟き、ビクトリア城に背を向け、クスクスに向かう。
 今すぐ城に戻り、またルックに頼む気も、脅す気にもならなかった。
 「軍主時代とは違いますね」
 誰にとも無く囁き、また一歩を踏み出そうとしたところでふいに背中に熱を感じる。
 振り返ってみると、そこには白い光を放ちながら、白いフード付きのローブで全身を覆った佳人。
 驚愕の表情は一瞬で消え、代わりに花がほころぶような笑顔になる。
 「御師匠様の真似?」
 「そういうわけでもないけどね」
 フードに顔を隠したルックが肩をすくめる。
 「僕だって、素顔そのままで敵国の皇居に行く気は無いよ」
 「そのわりに中はいつもどおりですね」
 「急いでいるといったのはあんただったと思うけど」
 「ああ、それはそうです。ありがとう、ルック」
 「ふん……行くよ」
 手を握った瞬間に今までにない強烈な光が二人を包む。
 「いつもと違うね」
 「紋章反応を頼りに無理やり行くんだ。それより、次元の狭間に迷いたくなければ邪魔をしないでくれる」
 「ごめん」
 真剣なルックの表情に素直に謝る。その間にも光はますます強くなり、流石に目を閉じたその時、慣れた浮遊感がやってきた。



 「……」
 「……」
 「……」
 「……」
 「……」
 地に降り立つ感触に目を開けると、そこには長い金髪に白い服の少年と、赤毛と白髪の対比が目に痛い軍服に身を包んだ青年が二人。いずれも突発自体に唖然としてこちらを見上げている。
 事前に集めていた資料によると金髪の少年がジョウイ・ブライト、赤毛が猛将シードで、白髪が知将、クルガンのはず。
 なにより、後で小さく嘆息が聞こえるし、間違いないだろう。
 しかしそれにしても。
 「わざわざ、いきなり目の前?」
 「反応が頼り、といったはずだけど」
 まあ、反応が最も強いところを探せばこうなるのかもしれないが。
 予想しなかった自分が悪い、といったところか。
 とりあえず、未だ呆然としている彼らに視線を落とし、優雅に微笑みかける。
 「こんにちは」
 「……こんにちは」
 最初に我に返ったのはジョウイだった。
 白ローブ姿のルックに目を向け
 「あなたは天秤の使者、ではないですよね?」
 やはりいきなり空間から現るその姿にレックナートを彷彿させたらしい。
 「……違うよ……」
 「な、なんだお前たちは!」
 ようやく正気に戻るシードとクルガン。シードは腰の剣を抜いて威嚇し、クルガンはジョウイを守る為に移動する。
 「そんな怖い顔しないで下さい。僕たちは単なる遊び人。名前はきっとジョニーにキャッシーです。どうぞ宜しく」
 「ふざけんなっ!」
 肩をいからせ叫ぶシード。まあまあ、と落ち着かせるジョウイ。
 「宜しく、ジョニーさんにキャッシーさん。ところで、とりあえずテーブルから降りてもらえませんか?」
 「そうですね。これは失礼」
 大人しく降りる二人。
 そこでようやくクルガンが口を開く。
 「お気をつけ下さいジョウイ様。そちらの白ローブの顔に見覚えがあります。そちらの赤い服の少年にも。確か……スレイ軍魔法兵団長のルック殿、そしてスレイ軍に出入りしている『トランの英雄』タクト・マクドール殿のはずです」
 せっかくフードで顔を隠していたのだが、最初に出現したのがテーブルの上で、相手は椅子に座っていたのでは、のぞきこめて隠蔽の効果はなさなかったらしい。
 「何!?」
 クルガンの言葉にいち早く反応したシードが素早くジョウイとの間に割って入る。
 その手に握られていた剣がぎち、と鳴る。
 「二人だけで乗り込んでくるとはいい度胸だな! 生きて帰れるとは思うなよ!」
 「おやまあ。熱い方ですね。落ち着いて下さい。僕たちはジョニーにキャッシーですよ。ねえ、キャッシー?」
 「僕にふるな」
 「あれ? ジョニーの方がいいですか?」
 「やっぱり偽名じゃねえかっ!?」
 微妙に疑問系で吼えるシード。少し疑っていたのだろうか。
 「ああ、バレてしまいましたか。君が合わせてくれないからだよカトリーヌ」
 「それは悪かったね。フランソワーズ」
 「な、それが本当の名前なのか!?」
 驚きに目を見張るシード。剣先まで下がっている。
 「馬鹿、からかわれているんだ!」
 額に青筋を立て叱責するクルガン。
 「!? くそ!」
 悪態をつき、再び上がる剣先。
 「……私にはそんな子供だましは通じません。『トランの英雄』殿はあくまでスレイ軍軍主、シュウユウ殿の個人的なご友人としてのみ出入りしているとの情報でしたが……これは、トラン共和国も我らハイランドに敵対される意思がおあり、と思っても宜しいか」
 剣は抜かず、しかし隙を見せずに淡々と問いかけるクルガン。知将の名に違わず、その視線は厳しい。
 その視線を真っ向から受け、しかしふわりとタクトは笑う。
 「いいコンビですね」
 「質問に答えていただきたい」
 ひどく魅力的な笑顔に流されず、あくまで厳格に問いただす。隣のシードは少し目が揺れているが。
 「うーん。これは、確かに誤魔化せそうにないですね。はい、僕はタクト・マクドールと申します。よろしければどうぞタクト、とお呼び下さい。それと、先程おっしゃった通り、僕はあくまで個人的にビクトリア城に遊びに行っているだけで、トラン共和国とは関係がありません。それに、ご心配なさらず……といっても無理かもしれませんが、僕は今回、ただそこのジョウイさんとお話がしたかっただけで、暗殺しようとか、諜報しようとか、そういった怖い意図はありません」
 にこにことそこまで説明し、最後にまた優雅に一礼する。
 「それを信じろと」
 「――なるほど、そうでしたか。ではそちらのルックさんも同様の意図で?」
 言いかけたクルガンを制し、黙していたジョウイが口を挟む。その表情は穏やかで、ある意味危機的状況といってもいい状況下において焦り等は一切見えない。
 「いえ、彼は僕の足をしてくれただけです。 ……ああ、といっても彼にもそちらが危惧するようなことは何もさせませんから、どうぞご安心を」
 ルックに代わり答えたタクトにジョウイは軽く頷き、あっさり視線を外すと緊張を解かない将達に目線をやり
 「シード、剣をしまっていいよ。ありがとう。クルガン、お客様らしいから、お茶をお願いしてくれるかな」
 ごくごく当たり前のように歓待の指示を出す。
 「ありがとう、おかまいなく」
 「……どういう神経してるわけ。あんたもそこの皇様も」
 ぼやきながらフードを取るルックに、内心全くだと同意しながら言われた通りお茶を用意するよう召使に促すクルガン。
 「お、おいクルガン」
 剣を片手に困って立ち往生するシード。
 「シード。この人たちは大丈夫だよ。ルックさんも、少なくとも今は」
 「は、し、しかし」
 優しく促すジョウイに、未だ決心がつかず曖昧な返事をする。そこにぽん、とクルガンが肩に手を置き
 「陛下のご命令だ」
 「……失礼しました」
 ようやく剣を収めるシード。しかし警戒は解いておらず、油断なく二人を見据えている。
 コンコン。かちゃ。
 「失礼致します、お茶をお持ちしました」
 「ありがとうございます」
 「……どうも」
 「あ、い、いえ」
 お茶を持ってきた給仕の女性にいつもの笑顔でお礼をいうタクト。こちらもいつもの無表情で一応の礼を言うルック。
 予想外の美形二人に視線を向けられ、思わず顔を赤らめる女性。
 「ご苦労様。下がっていいよ」
 その様子に苦笑しながら退出を促すジョウイ。退出を確認して
 「失礼しました」
 「いえ、なにも失礼などは」
 「そういっていただけると助かります。 ……ああ、クルガン、シード、君たちも下がっていいよ」
 微笑んだままのジョウイの予想外の言葉に今度はクルガンも目を見開く。
 「な、なにをおっしゃいますか」
 「そうですよ! こんな、敵国の将とだけに出来るわけないじゃないですか! 何かあったらどうするんですか!」
 「大丈夫だよ」
 その根拠はなんだ。
 思わず主君相手にそうつっこみたくなり、なんとか堪えるクルガン。
 「その根拠はなんですか」
 堪えられなかったシード。
 「根拠かい? 敢えて言うなら勘かな? 結構当たるよ僕の勘。それにタクトさんも暴れないって何度も言ってるじゃないか。失礼だよ」
 勘っておい。
 納得出来ないのが顔に出たのだろう。うーん、と首を傾げてジョウイが言う。
 「じゃあ、命令でも?」
 「必要とあらば主君の命令にも逆らってみせるのが真の武将の務めと存じます」
 「わあ、本物ですね」
 きっぱりと言い切ったクルガンに小さく手を叩くタクト。
 「……じゃあ、部屋の前に控えててもいいよ。ないだろうけど、万が一何かあれば呼ぶから。これで手をうたないかい?」
 ね、と笑うジョウイ。しかしその瞳にはこれ以上は譲らないという強い意志が明確に表れていた。
 「……分かりました。ではそれで。いくぞ、シード」
 「……失礼します」
 小さく嘆息し、部屋を出る二人。シードは最後に睨みつけるのも忘れない。無論、それで萎縮する二人ではないが。



 「いやいや、本当に部下が失礼しました」
 「いえいえ、お気になさらず」
 「……当然の反応じゃないの。むしろ、あんたの方がおかしいよ」
 運ばれた紅茶を躊躇いなく飲みながらルックがずけずけと言う。口の悪さは場所を選ばないらしい。
 「ルック」
 「あんたもおかしいけどね」
 苦笑しながら嗜めるタクトにも容赦がない。
 「でも、おかしいと思う人をこんなところに運ぶルックさんも相当ツワモノだと思いますけど?」
 気分を害した様子もなく、ごくごく自然に口を開くジョウイ。悪気がないだけにキツイ一言である。
 「……で、どうする。僕は席を外そうか」
 それには答えず、タクトに問いかける。普段であれば断りなど入れずにとっとと姿を消すのだが、場所が場所であり、また、タクトもジョウイに対し自分に不審な行動を取らせないと約束をしたので一応タクトの顔を立てての質問である。
 「ああ、そうだね……でもウロウロしたら迷惑がかかるよ」
 「そんなことするわけないだろ。一端帰るよ」
 「あ、それはちょっと困ります。姿が見えないとクルガン達が五月蝿いので」
 やんわりと言う事は言うジョウイ。一応敵軍の将ということは覚えているらしい。
 「……僕がいて話が出来るのかい」
 「出来ない事もないですが」
 「ああ、じゃあ」
 あからさまに名案を思いついた、という様子でぽん、と手を打ち、ドアを開け、控えていたクルガンに何かを告げる。悶着してる気配。そして。
 「なんのようですか、ジョウイ?」
 「あ、シュウユウお兄ちゃんのともだちのひとだ!」
 しばらくし、良く手入れされた美しい黒髪と、目にも鮮やかな緋色のドレスをふわりとなびかせて、まだ小さな女の子の手を引いて現れた若い女性の顔を、ルックも、タクトも知っていた。ちなみにドアを開け、苦りきった表情で佇むクルガンは最早気にも留めない。
 「……本当にあんた、何考えてるわけ?」
 珍しく人前で明確な表情、といっても呆れかえったものだったが、を見せるがそれは無理もないものだった。
 現れた女性の名はジル・ブライト。
 言うまでもなく、ハイランドの皇女にして、今となっては唯一、皇家の血筋を引く人間であり、ジョウイの婚約者である、はっきりきっぱりと重要人物である。
 手を引かれてきた小さな女の子の方の顔をタクトは知らなかったが、先程の台詞から推測するに、シュウユウとナナミに以前聞いた事がある、確かピリカという子だろう。
 「やあ、良く来てくれたね、ジル、ピリカ」
 両手を広げ、微笑むジョウイ。
 こっそり当たり、と口の中で呟くタクト。
 「はじめまして、ジル皇女殿。ピリカちゃん。タクト・マクドールと申します」
 「……お邪魔してるよ……」
 途端に優雅な笑顔でさり気無くハイランド式の一礼をするタクト。礼儀の範囲内でするルック。
 「初めまして、ジル・ブライトです。ようこそ、ルルノイエへ」
 「こんにちわ。ピリカです」
 「ジル、ピリカ、こちらはルックさん。悪いけど、しばらく話し相手になってくれないかな」
 「……あんた、本当に正気かい」
 心底うんざりしたような声で呟くルック。
 どこの世界に、自国の皇女と敵軍の将を一緒にする奴がいるのか。
 そもそも、迷惑だ。
 ここは相手に断ってもらおうと、自分の軍籍を話そうと口を開いたところで
 「ルックさん、ですか? ではもしかしてスレイ軍の魔法兵団長を務めていらっしゃる……」
 先に相手に言われる。
 直接軍とは関わらないはずの皇女が、相手の将の名前まで把握していることに若干驚きつつ、手間が省けたとばかりに頷く。
 「まあ、やはり。それでは、どうぞあちらのお部屋でお茶でもいかが?」
 「ってちょっと待ちなよ」
 なんなんだその前後に繋がらない台詞は。
 「はい?」
 「行こうよ、ルックおにいちゃん!」
 「はい、じゃないよ。僕は、敵国の将なんだよ? あんた皇女サマだろ。それを分かってて、僕と本気でお茶しようとか思うわけ」
 「ええ?」
 ……この国の皇族は皆頭の螺子が緩んでるのではないのだろうか。
 不思議そうに頷くジルを果てしない脱力感と共に見つめる。
 もっとも、傍目にはやはり若干の呆れ顔、にしか見えないのだが。
 すると何故かジルはゆったりと目を細め
 「まあ、ルックさんはお優しいのですね。でも大丈夫なんでしょう?」
 そんなことを言う。ちなみに、後半はジョウイに向けられた台詞である。
 「うん。大丈夫だよ」
 あっさり頷くジョウイ。
 「では、大丈夫なのでしょう。さあ、参りましょう?」
 そっと手を差し伸べるジル。
 その手と、ジョウイと、ジルの隣で待っているピリカと、ついでにさっきから自分にしか分からないにやにや顔で笑っているタクトを見て。
 「……じゃあ、話が終わったら声かけてよ……」
 諦めたルックは、流石に手は取らず、ジルの後についた。
 「ちなみに、僕はシュウユウの友達なんかじゃないから」
 先程のピリカの一言をちゃんと覚えていたらしく、釘をさしながらドアをくぐる。
 そんな様子を見送りながら
 「本当にすみません、お手間をとらせて」
 「いえいえ、いいんですよ」
 改めて、ふわりと微笑んで挨拶を交わす。
 「でも、本当に良かったんですか? 皇女殿とルック、一緒にしてしまって」
 一応彼は男ですよ?
 やんわり尋ねると、くすくすとジョウイは笑いながら
 「ああ、確かにちょっと悔しいくらい綺麗な方でしたけど。でも、そんな心配はいらないでしょう? これでも人を見る目はあるつもりなんですよ。それに、確かに二人きりは対外的にまずいかもしれませんが、ピリカ――顔見知りの小さな女の子が一緒ですから。ちなみに、ジルが彼になびく心配もしてませんしね」
 さらりと流され、ついでにのろけられ、今度はタクトが苦笑する。
 「そうですか、失礼しました」
 「いえ。……ところで、シュウユウは元気ですか?」
 「はい、元気ですよ……」



 コンコン。
 「ジル、入るよ」
 「やあルック」
 「あら、お話は終わりましたの?」
 「……思ったよりは早かったね」
 数時間後。
 ノックと共にすっかり打ち解けた様子で入って来たタクトとジョウイに、ルックはふう、と開放される喜びか、小さく吐息をつきながら手にしていたカードをそっとテーブルに置き、立ち上がった。
 「あ、そのままで」
 片手をかざし、何故か止めるジョウイ。
 今更勝手に動くなということでもないだろうに、しかし約束があるので一応言われたとおりにその場で停止するが、一体なんだと眉をひそめるルック。
 そんなルックの心情を恐らくは正確に読み取ったと思われるタクトが満面の笑顔で告げる。
 「ルック」
 「なにさ」
 「僕、2、3日泊めてもらうことにしたから」
 「本物の馬鹿なの」
 告げられた言葉に、思わず何も考えずに思ったとおりのことを口にするルック。
 掛け値なしの本気の想いを感じ取ったのだろう。ぴくり、と手が棍に向かって伸びようとしたところで、場所を思い出し、止める。
 「……ひどいな。で、ルックも一緒ね」
 「なんでさ」
 一方的に告げられる行動予定に、当然抗議するルック。
 数時間くらいなら待っていてやれるが、数日となるなら一度戻った方が断然いい。
 「あんた、本気で自分の立場と、僕とこの国の関係把握しているわけ?」
 「あ、僕たちは見えててもそこにいないお客様だから。意味はわかるね?」
 「あくまで非公式、滞在した記憶は残らないってことだろ……そんなこと聞いてるんじゃないよ」
 「ちなみにシュウユウには2、3日戻らないって置手紙してあるから連絡はばっちり」
 「ああ、タクトさん。あんなこといってやっぱり最初からうちに泊まる気だったんですね」
 「おや、バレてしまったね。 ……ルックの所為ですよ。罰として、僕に付き合いなさい」
 「……どいつもこいつも、馬鹿ばっかりだ……」
 押し殺した声のルックが、そのまま無言で右手をあげる。
 が。
 素早く移動したタクトがその右手をぎゅっと握る。
 「いやだなあ、ルック。帰らないで下さいよ」
 「放さないと、あんたごと跳んで帰るけど」
 「困ったなあ。では」
 そういうと、すっと空いている方の手でルックの細い首……頚動脈あたりに触れる。
 「君の詠唱完了と、僕の圧迫で君が落ちるのと、どちらが早いかな」
 多分僕は五秒くらいだと思うんだ。
 全く変わらない表情のままルックの瞳を覗き込み、首を傾げる。
 「多分、詠唱終了同時で、次元の狭間行きだね」
 冷静に答えるルック。
 「うん、そんなところだろうね。でも、僕はやるよ?」
 「だろうね」
 首を触れられたまま頷くルック。今はなんの圧力もないこの指は、きっと自分が詠唱を始めた途端に迷わず力を込めるだろう。
 ため息を堪え、変わりに言葉を紡ぐ。
 「……あんたが淋しがりやなのは良く分かったよ。じゃあ、ちゃんとお願いすれば、いてやらないこともないけど」
 ルックなりの妥協である。
 「……またバレた? じゃあお願いルック。一人は淋しいから、僕と一緒にお泊りしましょ?」
 「……気持ち悪い」
 「自分から要求しておいて失礼ですね」
 いいながら了承と受け取り、手を放す。
 くるりと後を向き、微少を浮かべながら待っていたジョウイにいつもの笑顔を向ける。
 「じゃあ、そんな感じで僕ら二人、お世話になりますね」
 「いえ、ではお部屋に案内しますね」




 「ルック、今日帰るよ」
 滞在三日目。
 タクトがルックにあてがわれた部屋を開けると、そこには昨日、一昨日と同じ様にジルとピリカが座っていた。
 ジルの手元から何かが反射したので見てみると、手には今までみられなかったネイルアートが施されている。よくよくテーブルの上を見ると、そこには複数のマニキュアと、染料に、小筆。
 さらに視線を動かすと、ピリカの小さな爪にも可愛らしい花のネイルアートが施されており、またピリカがなにやら尊敬の眼差しでルックをみつめ、当のルックは傍目には無表情を気取っているが、若干動揺している様子が自分になら読み取れる。
 さて、これらが意味するところは?
 そういえば、盲目のレックナート様もマニキュアをしていたっけ。
 記憶を呼び起こしながらくすりとタクトが笑う。
 その反応に僅かにルックの手が揺れる。
 「器用ですね」
 「なんのこと?」
 やはり僅かに早すぎるタイミングで返すルック。
 そこであえて言及せず、くすくす見つめていると、拗ねたのか、憮然とした様子でルックが尋ねる。
 「今からかい」
 「いえ、お昼をいただいてから」
 さらっと図々しいタクトの言葉にルックが呆れるより早く、隣で喜びの声があがる。
 「まあ良かった。では、お昼は皆さんでご一緒しましょう」
 「わーい、みんないっしょ!」
 「結局ルックさん、この部屋から必要最低限しかお出になりませんでしたし、テラスは如何?」
 そっと両手を合わせて楽しそうに提案するジル。
 折角人が目立たないよう部屋に引きこもっていてやってたというのに、一体最後に何を言い出すのかこの皇女は。
 「……馬鹿じゃないの……」
 「失礼だろうルック。 ……でも、確かにテラスはちょっと」
 苦笑しながら、しかし流石にやんわり断るタクト。
 それにジルは分かっていますというように頷いて
 「大丈夫です。ようは、お二人と分からなければよろしいのでしょう?」
 にこにこと近づいてくるジルに何故かジョウイがびくっと肩を震わせ
 「ジ、ジル? まさか……」
 怯えた声を出すその顔は確かに引きつっている。
 酷くいやな予感を覚えつつ、歩み寄られた分、後ずさる二人。
 「幸い、タクトさんもルックさんもとてもお綺麗ですし」
 「いやジル、それはやめよう? ね?」
 「……タクト」
 「……仕方ないね」
 先程のジルの発言に、なんとなく成り行きを察知した二人。目線で帰る打ち合わせをしている。
 「ああほら、ジル。変な事をいうからタクトさん達がこっそり帰ろうとしているよ。ね、大人しくこの部屋でご飯にしないかい?」
 「そんな。密かに準備させましたのに。3日で新着を3つも作るのは大変ですのよ? それも全部サイズ違い」
 「……3つ?」
 「ジョウイだけ普段の服ではハーレムになってしまうでしょう?」
 「……ジル……僕はもう厭だって……」
 「そんなことをいって。いつも最後には着てくださいますのよね」
 「ジル……!!」
 口元に手を当てくすくす笑うジル。慌てるジョウイ。
 すっかり二人の世界に入った彼らを呼び戻したは、小さな手だった。
 「ねーねー。みんなでごはん食べたい」
 「ピリカ」
 「でも僕らは妙な服を着る気はさらさらないからね」
 すかさず釘をさすルック。隣でタクトがグッジョブと親指を立てている。
 「……仕方ありません。では、この部屋でいただきましょうか」
 「そうだね。そうしよう」
 そういったジョウイの顔はこの中の誰よりもほっとしていた。



 「それでは、お邪魔しました」
 「……世話になったね……」
 「また来て下さいな」
 「亡命も大歓迎ですよ」
 「シュウユウおにいちゃんによろしくね!!」
 「うん。ピリカちゃんも元気でね」
 「……じゃあ、行くよ」
 さり気無い勧誘は無視して、ジョウイ達に聞こえないよう口の中で詠唱を始める。
 呼びかけに応え、慣れた緑の光が二人を包み。
 「……見事だな……」
 その呟くジョウイの姿を最後に、光が弾けた。



 「……着いたよ」
 「ってここはサウスウィンドウの宿屋に見えますが?」
 「一応の記憶力はあるようだね」
 「ふうん。じゃあ、わざとここに跳んだんだ」
 軽口にはとりあわず、突然現れた二人に驚く店員の女性に甘めの笑顔をオプションにつけて何かを注文し、適当な席につく。後に続くルック。
 「で、用件はなんですか?」
 「……あいつと、何話してたの。3日間も」
 尋ねておきながら気のない様子のルック。しかしその言葉の内容にタクトは目を細め、笑みを深くして
 「何? 僕を疑うの?」
 「それはどういう意味で? あんたはスレイ軍に所属していない。あくまでもあの阿呆軍主の友人、客としての立場でしかない。そういう意味では、疑うという定義すら当てはまらないだろ。そして、僕はあんたが自分が面白い、興味を持ったことの為にはかなりの無茶をやる奴だって知ってるよ。だから、僕はあんたを疑ったりなんかしてない」
 「じゃあなんでそんなことを聞くのか教えて欲しいな」
 「僕がスレイ軍所属で、あんたをあそこに連れて行った当事者だからだよ」
 分かっているくせに、何言ってんのと、半眼で見つめながらも、答えない限りタクトもまた答えないことが分かりきっていたので素直に返答をする。
 そしてやはり、予想通りの返事に軽く頷くタクト。
 「うん。だろうね。 ……でもルック、随分熱心だね。僕との時はそんなに一生懸命になってくれたっけ? ちょっと悔しいですね」
 「なに馬鹿な事言ってんの。いいから聞かれたことに答えなよ」
 「誤魔化すつもりはないよ。ただ……ああ、きたきた」
 タクトの宣言に一拍おくれ、注文されたものが運ばれてくる。
 給仕から笑顔で皿を受け取り、去っていくのを待って。
 運ばれた時からじっと皿を睨んでいたルックが口を開く。
 「……オムライス……?」
 「ええ。好きだったでしょう? こっちのシチューは僕のだよ」
 「あんた、さっき昼食べたばかりだろ……」
 好きかどうかは答えず、とりあえず気になったことをつっこむ。
 「さっきと言っても一時間は経ったし。ルック、あまり食べていなかったでしょう? 食べようと思えばこれくらいイケるでしょう」
 「あんたと一緒にしないでくれる……」
 外見に似合わず、実は結構大食漢なタクトを睨みつけ、ため息と共にスプーンをとる。ともかく、余程許せない味でない限りは、出されたものは綺麗に食べるようレックナートに躾られている。
 「仕方ないな。じゃあ半分手伝ってあげましょうか」
 「そうして。 ……話が逸れたね。で、何話してたの」
 「ああ。特に、何ということはないんですが。ちゃんとスレイ軍の機密事項も聞かれも話しもしなかったし、スレイ軍や所属する人個人の不利になるような約束なんかもしてないし。勿論トランに関係する話もしなかった。少なくともスレイ軍魔法兵団長が聞かなくてはいけないようなことはないよ」
 「そう」
 「ただ」
 納得して頷きかけたところで言葉を繋げられ、伏せていた顔を上げるルック。
 「ルックには、聞きたい事がこちらにもあってね」
 「……答えるとは限らないよ」 
 「うん。出る時に言った通り、本当に今回は世間話して、どんな人か知りたかっただけだったんですけどね。ルック」
 「なに」
 「彼、最初にルックを見て、天秤の使者って言ってたよね」
 「……そうだね」
 「あ、覚えてた? ――ねえ、ということはレックナート様、彼にも会いに行っているって事?」
 何故そのような事を聞くのか。
 意図を測りかね、眉根を寄せるルック。しかし、いずれにせよ
 「なんだってそんなこと聞くのか知らないけど。レックナート様の行動については教えられないし、僕もあまり知らないよ」
 その返答にタクトはふむと頷いて
 「律儀な弟子ですね」
 「五月蝿いよ」
 憤然と呟いてオムライスを口にする。租借し飲み込んでから
 「でも、どうせシュウユウに聞けば分かる事だからね。少なくとも一回、彼等が紋章を継承する際、レックナート様は彼等を導いたとおっしゃっていた」
 「それは昼間?」
 「そうだけど。なんで」
 「……いや、別に……。 ……そう、まあ、じゃなきゃああは言いませんもんね……」
 「一体本当になんだっていうのさ」
 「いえ。それは、シュウユウが居たから、必然的にジョウイにも会う事になったのかな。それとも、元々二人に会いたかったのかな」
 瞳を閉じてシチューを飲みながら言う。その表情は読み取れない。
 本当に何を考えているかのか分からなくて困惑する。
 「あの方の考えは僕には分からないよ。ねえ、本当になんだっていうんだい」
 「そうだね……なんだと言われても困るのですが。なんかこうもやもやと気になったので。ただ、本当にあの人は『天秤』の使者なんだね……。どちらかにつくことなく、ただ世界のバランスを……。三年前は、ウェンディがいたから完全に僕の味方をしたってことなのかな……本当のあの人は、どちらかに味方することなく、ただ観察し、誘導するだけなのかな……? それともあの人はその時の天魁星の味方なのかな? 歴史を動かす大きな星とやらの。どうなのかな。それともルック、君が天間星として三年前も今もいるから、だから今回も108星の集いの方に味方しているのかな? ジョウイに聞いてみようと思ったんだけど、それで会ってないと言われたらあの一回だけで、結局世界の流れは自分にはないのかとか思いつめちゃうといけないと思いまして聞かなかっのですが」
 ぼんやりと虚空を見ながら謳うようにいう。尋ねている、というよりは、ただ思考のままにしゃべっているようだ。
 どう返答すべきか、そもそも返事を求められているのか。判断がつかないまま沈黙しているうちに、タクトがゆっくりと微笑む。
 とても綺麗な完璧の笑顔。
 「ごめん。良く分からない事をいいましたね。というか、自分でも良く分かってないので。気にしないで」
 「……とりあえず、その顔は嫌いだと前にも言ったよ」
 「酷いな。女性には大人気の英雄スマイルなのに」
 「下手な営業スマイルだろ。いいから、人形の真似はやめなよ」
 「本当に酷いね。普段感情を隠しっぱなしなのはルックの方なのに」
 「煩いよ。ほら」
 ぐいと皿を押し付ける。
 「なに?」
 「オムライス。半分食べるって言っただろ」
 意外なことを聞かれたというように軽く目を見開く。
 そんな反応が可笑しくて、思わず笑いそうになるのを慌てて堪える。
 「ええ。確かに」
 スプーンを受け取り口に含む。
 シチューに使っていたスプーンは味が混ざるので使わない。
 「……まあ、ともかく、本当にジョウイの人柄を見たかっただけだというのは分かったよ。一応納得してあげるから、早く帰るよ」
 「他人の量を増やしておいてそれかい?」
 「言い出したのはあんただよ」
 「期待通りの言葉をありがとう」
 「さっさと食べなよ」
 「はいはい」



 「あー! やっと帰ってきやがったな!!」
 「やあシュウユウ。石版の前でずっと待っていてくれたのかい?」
 無事に食事も終わり、雑魚モンスターにからまれるのは厭だと歩くのを拒否したルックによる転移で一気に石版前に戻った二人を待っていたのは、石版の3歩前で座りこみ、なにやらシュウに出された課題と思われる古文書を読んでいたシュウユウだった。
 「昨日の午後からずっとはってたんだよ。全く、僕をのけ者にして、どこで何してたんだよ」
 本を閉じながら、自分たちばかりで楽しい事しやがって、などとぼやくシュウユウ。その顔は完全に不貞腐れた子供だ。
 ははははは、と笑いながら宥めるようにぽんぽんと肩をたたく。
 「まあまあ。ちゃんとお土産も持って帰りましたよ? 君も大人しく読書するくらいにはいい子だったようだからちゃんとあげるよ」
 「ふざけた品だったら承知しないよ? ……まあ、それはそうと」
 肩の手を払いのけつつくるりとルックの方へ向き直る。
 「……何?」
 「うん、何って言うかさ。魔法兵団長で転移使えるくせに一回も連絡寄越さなかった、とかいうつもりもなくね」
 言いながらじりじりと迫る。
 そのままがしっとルックを抱きしめ、
 「帰ってきてくれて嬉しいよ風の妖精さんっ!!」
 ホール中に響き渡るような大声で叫ぶ。
 「なっ」
 「うわ」
 肉体への感触と至近距離からの大声、またその内容に引きつるルック。厭そうに呟くタクト。
 軍主の叫びになんだなんだと皆が注目する。
 「こっ……阿呆軍主! なに馬鹿な事叫んでるのさ!」
 「ああ良かった風の妖精さん! どこにも怪我はないようだね! 心配したんだよ風の妖精さん!!」
 「そのくだらない呼び方は止めろ。誰が風の妖精なんだよ」
 きっちり固められているので、敢えてもがくことはせず、抱きしめらたまま睨みつけるルック。暴れてくれる事を期待していたらしいシュウユウはつまらなさそうに手を放しながら
 「えー。だってほら」
 空いた手で懐を探り、一枚の紙をルックへ差し出す。
 それは無論、タクトが残した置手紙で。
 「………………タクト?」
 僅かに肩を震わせながら低い低い声で囁くルック。
 さりげなく防御姿勢をとりながらタクトが笑う。
 「はい、なにかな? というかその紙はなんだい?」
 「僕があんたの字を知らないわけがないだろう……下手な誤魔化しをする前に、つまらないことをしてくれた覚悟は出来ているんだろうね?」
 底冷えのするルックの言葉に、タクトは高笑いをしつつ間合いを計る。
 「ははははは、バレたからには仕方ない。さあ、かかってくるがいい!」
 ぶあさとありもしないマントを翻し、両手を広げる。
 「なんのノリだかしらないけど。容赦しないよ?」
 言葉と共に俊敏な動作で右手をあげたかと思うと、音もなく、しかし確かに風がルックの周りに集まり、僧衣や髪が強くはためく。
 その動きに答え、タクトの右手もまた黒い鎌の輝きを放ち始め――
 「って帰って早々なにやってんだよ!」
 慌てて止めに入るシュウユウ。
 「切り裂き」
 「冥府」
 「って無視すんなー!!」
 轟音を立てて吹き荒れる突発性屋内用ミニ竜巻と、耳をつんざく様な異音を放ちながら広がる闇を防御しながらそれらの音に負けぬよう大声で叫ぶシュウユウ。確かにルックをけしかけたも同然なのは自分だが、だからといって広間をこわされては困る。
 風が消え、闇が収まった後にそれぞれ当然のように無傷で佇む二人。タクトは笑って、ルックは無表情のままシュウユウを見
 「何いってんのあんた」
 「ちゃんと、声と行動で『なにやってん』のか答えているでしょう?」
 「こんな時だけ同調すんなっというか、やめろって意味だろうが! いちいち広間壊すんじゃない! 後でシュウに怒られんの、なんか知らないけど僕なんだからなっ」
 青筋を立てて叫ぶシュウユウ。宥めるようにタクトが肩に手をおきつつ
 「やだな。勿論、そういう意味だって分かってましたよ」
 「このクソ英雄」
 「品がないよ。それに、広間壊してないし」
 「ちゃんと周りみなよ、本当に感覚の生き物だね」
 ため息交じりのその言葉に更に血管を浮かせながら、言われたとおり周りを見てみると、確かに広間の壁や天井はおろか、床にも損傷はなかった。恐らく、お互いに相手にかわされたのが分かった瞬間に、壁に当たる前に呪文を解除したのだろう。恐ろしく器用な真似ではあるが、それを褒める気には無論なれなかった。
 「……確かに、壊れてないけど……そもそも、城内で魔法ぶっぱなすなよ馬鹿二人」
 「だったら止めろと言えば止めてあげない事も場合によってはなかったのに」
 「お前さっき意味分かってたって言っただろうが! しかも場合ってなんだ場合って!」
 「だって、君が軍主として城内で魔法を放つなと言えば真面目ーなルックは止まったと思うし、それなら僕も止めて構いませんでしたが、ルックが止まらない以上、僕も身を守りたいですしね」
 「余計な事いってるんじゃないよ似非英雄。 ……まあ、シュウユウ、そういうことだから、自分の判断ミスを恨むんだね」
 「……お前らな……」
 「じゃあ、シュウユウも納得したようだから、続きといこか、ルック」
 「今度こそ仕留めてあげるよ」
 言ってそれぞれ右手を挙げる二人。
 「ってだからなにやってんだおまえらー!」
 威嚇のように両手を鷲のごとく頭上で構えながら吼えるシュウユウ。
 そんな彼にタクトは甘く囁くように、ルックは心底呆れたように
 『馬鹿?』
 その言葉にはっとしたシュウユウは、からかわれた事に気づき若干顔を赤くしつつ
 「う……る、ルック! 軍主命令! 広間で攻撃呪文唱えるな!」
 その言葉にルックは鼻で笑いながら手を下げる。タクトもくすくすと笑いながら手を下げた。
 とことん腹が立つが、流石に言われたばかりで同じ失敗をした自覚はあるのでうーと唸るに留まるシュウユウ。
 「まるで獣だね」
 「あははは。まあまあシュウユウ、そんないつまでも威嚇してないで。お土産を渡すから、君の部屋に行こうか」
 「え? お土産? ……そんなんで騙されるわけじゃないけど、じゃあ行こうか。あ、ルック。明日、交易三昧させてやるから、覚悟しておけよ」
 「そんないつものことで僕が動揺すると思ってんの」
 「五月蝿い! 明日こそ荷物持たせてやる! 砂糖とか塩とか!」
 「はははは、じゃあルック、またね」
 「早く行けば。鬱陶しい」
 「だから無視すんな!」
 最後のシュウユウの言葉はあえて返事をせず、後ろを向けたまま手を挙げて追い払う。ぎゃあぎゃあとなにやらまだ騒いでいるが、気配が離れていき――。
 「……行ったか」
 やれやれとため息をつく。
 正直、無理な転移の後で疲れていた。
 明日は交易三昧らしいから――勿論、荷物を持つ気などは更々無いが、五月蝿いのがいなくなったうちにやることをやり、さっさと休んでおこう。
 そんなことを思いながら、石版に近づき、異変が無いか調べる。
 常に回りに薄い結界を張っているので、めったな事が無い限りは傷つかないはずではあるが、それでもこの城内では何が起こるかわからない。チェックは怠れない。
 冷たい石版にそっと指を這わせながら、丹念に調べていく。
 そして、どうやら特に異常が無い事を確認し、ここ数日いなかったせいで少々脆くなっていた結界を補強しておいて、部屋に向かっていった。
 タクトのおかげで空腹は全然覚えていないし、星見の出来るようになるまではまだまだ時間がある。それまで寝るつもりだ。
 後からシュウユウかタクトが来るかもしれないが、その時はその時である。
 久しぶりの自軍のベットに身を滑らせながら、ルックはあっさりと眠りに落ちた。



 部屋の外で気配がする。
 「……何。何か用」
 ごそりと身を起こし、髪を手ぐしで簡単に整え、脱いでいた僧衣を羽織ながら外へ声をかける。
 「うん、じゃあ入るよ」
 声と同時に部屋へ入ってきたのは、気配の告げた通り、タクトだった。
 「僕は何か用、っていっただけで、入っていいとは一言もいってないんだけど?」
 「でも、ドアの結界を解いてくれただろう」
 入れる気がなければ、そんな事しないよねと言わんばかりにタクトが笑う。
 「君、未だに部屋に結界張っているんだね」
 「……変な輩に勝手に入ってきて欲しくないからね」
 「魔力の無駄じゃない?」
 「これくらい、核となる道具を使えば大したことじゃないよ」
 「ふぅん。まあ、構いませんが。それより、どうやら寝ていたのを起こしたようだね」
 「起こそうと思ってずっと部屋の前にいたくせに。よく言うよ」
 「ああ、気づいていたならもっと早く呼んでくれればいいのに」
  皮肉を全く気にせず、勝手に棚からティーセットを取り出し、サイドボードに並べだす。
 「お湯はないよ」
 ルックの言葉にタクトは心得たように頷き
 「火の紋章宿してきたから。誘導は任せたよ」
 そう言って左手を差し出す。
 ふん、と呟きながら左手を握り、魔力の流れを合わせる。そして
 「お見事」
 ポットを割らず、中の水だけが沸騰したのを確認し、タクトが素直に呟く。
 「他人の紋章で沸かしたお茶は美味しくないって前にもいったはずだけど」
 褒められたことには注意を払わず、不満気なルック。お茶には葉の種類によりそれぞれ淹れるのに最適な温度があるのだが、自分が宿してならばまだしも、他人が宿した紋章を誘導してでは流石にそこまでの微調整は出来ない。
 「でも飲めないことはないでしょう」
 「じゃなきゃ淹れさせないよ」
 ティーポットにお湯を注ぐのをまるで監視するかのような目で見ながら肩をすくめる。
 「で、なんのようなのさ」
 注ぎ終わり、椅子に座るのを一応待ってから改めて用件を促す。
 感覚からいって、まだせいぜい二時間ほどしか経過しておらず、起きようと思っていた時間にはまだ遠い。これで自分に無理な転移をさせた張本人に、寝ていると分かっててつまらない用件で起こされたのではたまったものじゃない。
 「ルックはせっかちだなあ」
 不機嫌なルックを愉快そうな目で眺めながらあははと笑う。その様子にますますむっとするルック。
 「まあ、用というか。ちゃんと言ってなかったことがありますので」
 「なに」
 言葉少なに更に促され、うん、と笑いながら
 「ありがとう」
 「……なに?」
 予想しなかったことを言われ、思わず軽く目を見開き、聞き返す。
 「失礼な反応ですね。まあそんな反応だろうとは思っていたけど。我儘を聞いてもらった自覚はありますから。御礼、ちゃんと言おうかなと思って」
 言いながら、程よく時間が経過したはずのお茶をカップに注ぐ。
 思ったよりも沢山入ったお茶が揺れて零れないようそっと手渡ししながら、ほとんど嫌がらせだろうな、と思いつつルックの瞳を覗き込み
 「だから、ありがとう」
 そう言って再度笑った。
 「…………別に」
 なんと言おうか迷い、結局そうとだけいい、受け取ったカップのお茶を飲む行為で顔の半分を覆う。
 ここで照れているね、と図星をさそうものなら、きっともう二度とハイランドには連れて行ってくれないだろう。
 そう判断したタクトは内心めったにない機会を惜しみつつも黙ってお茶を飲む。
 「……迷惑だったことは否定しないけどね。それより、お土産ってなんだったのさ」
 ゆっくりと顔からカップを離したルックの表情はもう普段通りになっていた。
 ああつまらない。
 そして、次回への牽制と、話題転換を選びましたね?
 まあ、ここは大人しくのってあげますが。
 「ああ。お土産。何だと思う?」
 逆に問いかけてみると、すぐに返事が来た。
 「ありがちなら幼馴染殿からの暢気なメッセージ、ってところじゃないの」
 いかにもルックらしいひねくれた言い方に、軽く噴出す。
 「あたり。ありがちではあっても、シュウユウは喜んでいたよ。きっと、ナナミちゃんも喜んだと思うし」
 手紙を渡した時のシュウユウの表情を思い出し、目を細めるタクト。しかし何故かルックは眉根を寄せ
 「ちょっと。あんた、ナナミ宛ての手紙まで運んだわけ」
 怒り出す。
 「そうだけど、何かまずかったかい?」
 確かに魔法兵団長やら軍主の客人やらが敵軍の総大将と会ってきたというのが一般にもバレたらマズいだろうが、ナナミは常にハイテンションで声も大きく、おしゃべり好きではあっても、同時に賢い。こんなことを誰かに吹聴するようなことはないだろう。
 怒りの原因が分からず、首を傾げる。
 「ナナミなんかにバレたら、誰かに吹聴するようなことはなくとも、僕たちだけズルい、自分も一度連れて行け、もしくはこちらからの返事を届けてくれってこっそりと、その分周りに止められずしつこくごねるに決まっているだろう」
 「…………ああ」
 それはあるかもしれない。
 言われて納得する。
 今から想像のナナミにうんざりした様子のルックに首を傾げたまま
 「頑張れ?」
 「ふざけないでくれる」
 「……まあ、あまりしつこいようなら、僕も止めてみますから」
 「その言葉、忘れないよ」
 「あー……ああ、そういえばルック、寝てたんだよね。起こしてすみませんでした。ではお礼もいったし僕はこれで。明日の交易、頑張って下さいね。じゃあおやすみなさい」
 「こら逃げるなマクドール」
 ばたん。
 一息に言いたい事だけ言って、こちらの静止を聞かずに音速で開けられ、閉められたドアを苦々しげに見つめる。
 しかも、勝手に出していったティーセットもそのままだ。
 これでお茶を綺麗に飲み干していなかったらつかまえに行くところだが。
 ため息を押し殺し、片付け始める。
 ああ、それにしても
 「本当に、とめてくれるんだろうね……」
 不安が頭を過ぎるが、ひとまず無理やり思考から外し、手際良くセットを片付け終える。
 そのまままた僧衣を脱ぎ、ベットへ滑り込む。
 明日のパーティーにナナミがいないことを願いながらルックは瞼を閉じた。




 翌日。
 ルックの願いも虚しく、よりによってシュウユウ、ナナミ、ルックだけの三人で組まれた交易隊は、砂糖や塩を持たされることがない代わりに、一日中姉弟からの連れて行けコールを受けるはめになった。
 タクトが仲裁をしたのは、更にその三日後のことになる。




                 end


 色々とありえないお話。シードはあれで格好良い設定です。




                                                   


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