96,てのひらの先に






 てのひらの先にある水鏡をじっと見つめ、意識を集中させる。
 水鏡による遠見。
 彩の国、宮殿の一角に部屋を与えられたる美しき国賓預言者、白梟。
 白梟はその妙技を執行していた。
 しかし、麗しき瞳に宿るのは険なる輝き。
 通常の、王や、大貴族達に請われてするような、少なくとも白梟にとっては「くだらない」ものならば、大概……そのモノが無くなっているような場合でなければ容易に映る遠見の水底。
 しかし、今はゆらゆらと幽玄に揺れるのみで何も映る事はなかった。
 そう、いつもの通り。
 ゆうに四半時は経過しただろう。ふ、と微かに吐息を漏らし、白梟はようやく手を水鏡の上からどけた。
 短くはない時間、支えもなく一定に固定していた為、若干痺れてはいるが、そんなことはどうだっていいくらいに白梟は苛立っていた。
 ぐい、と優雅ではあるが若干乱暴な手つきで水鏡を脇においやり、深々と椅子に腰を掛け直す。
 「……」
 ゆっくりと瞳を閉じる。
 また、失敗……。
 それはこれまでの数年間毎日、抱き続けてきている思い。
 今度こそ、と思っては屈辱と、倦怠感の内に手を下ろす。
 玄冬。
 箱庭に終焉を齎す、魔王という名の被害者。憐れむべき存在、それ以上に憎み、抹殺するべき存在。
 一度はこの手に捕らえた赤子を、片翼、立場を逆とする黒鷹に奪われて以来。
 幾度その姿を捉えようとしても叶わない。
 最近、ようやくいくつかのポイントがしぼれてはきたが、未だその姿を見たことはない。
 その事実を意識し、唇を一瞬噛み、直ぐに放す。主にいただいた身体、無駄に傷付ける事は出来ない。
 それに。
 つい先日、白梟はある考えが浮かんでしまっていた。
 ……何故、主は私に黒鷹以上、もしくは同等の力をお与え下さらなかったのでしょう。
 それは、最も認めたくない事実の一つ。
 そして、毎日、否応が無しに突きつけられる事実。
 ――私は、あの黒鷹よりも魔力において劣っている。
 恐らくは僅かな差なのだろう。しかし、その僅かな差が決定的な違いを生んでいる。
 また、思いに連動し白梟は過去の記憶を呼び覚ます。
 それは、絶対に正しい主の言葉。

 「黒鷹! 貴方はまたこんなところでサボって! 恥を知りなさい!」
 「ああもう……なんであなたはそう……ああほら、主も笑ってるくらいなんだから、私がちょーっと抜けたって支障はないと思うんだけどね」
 「お黙りなさい! 主の前で恥ずかしいと思わないのですか!」
 「うん、まあ別に。主だって気にしませんよね?」
 「……このたわけが。よいからお前も調整に加われ」
 「ほら、主も良いって」
 「勝手な解釈をするでない。 ……全く、お前はその気になれば普段の倍は力が振るえるはずと思っておったが。我の計算ミスか?」
 「じゃないですか?」
 「黒鷹っ!」

 あの時は、なんて不真面目なのだろうと思っただけだったけれど。
 『その気になれば普段の倍は』
 あれは、一体どのような意味で言われたのか。
 あの時に思った通り、「もっと真面目に働けば効率もあがる」という意味なのか。
 きっと、それでいいのでしょう、そう思う。
 思うけれども、でももしも。
 作業効率以外のこともまた、表しているとしたら?
 塔に居た時も、最初の玄冬が生まれた時ですらも。
 あの男は、本当に真剣になっていた様子は見られなかった。あくまで、仕事だからやる、程度の気概で……私は、彼の本気を見たことがない。
 そして、本気でもないのに、全力でやる、などというのは、考えづらいのではないのだろうか?
 もし、この些か破綻した、しかし払拭しきれない推測が、当たっているのならば。
 言うまでもなく、実力差をご存知の主は、何故そのようにされたのか?
 もしくは、何故、力が強い方を玄冬の守護へと回されたのか……?
 思いついてしまった考え。
 ずっとこの考えに囚われている。
 が、それ以上の推測は出来ない。このままの思考で進めては……その答えは、自らの存在意義すら疑う事になるだろうということが分かるから。尤も、このように考えている時点で半ば答えを出しているのだけれど、それでも、明瞭にしてはいけない。
 「……」
 ずっと閉ざしていた瞳を開く。
 そろそろ、花白の勉強の時間だ。また、逃げ出していないといいのだけれど。
 無理矢理思考を切り替え、億劫そうに立ち上がる。
 軽く頭を振り、ベールの下で髪が舞うのを感じながらドアへと歩く。最初は花白の方に来させていたが、特に最近は来ないでどこかへ出かける事が多くなってきた為、気が向いた時は白梟の方が訪れるようになっていた。
 自らの守護する白の子、救世主の気配ならば意識するだけでどこにいるか分かる。
 今は、銀朱隊長の部屋付近にいるようだ。
 探りながら、絨毯の敷き詰められた部屋を音を立てることなく進みながら切り替えたはずの意識の傍ら、白梟は思う。
 きっと最初から主の描いたこの指に、このてのひらの先に掴める未来がどのようなものであれ。
 私は、自らに託せられた使命を守るだけだと。
 ふ、と吐き捨てるように笑みがこぼれる。大分に自虐的なものであると気付き、また鬱屈した思いになる。
 そして、白梟は部屋から出る。
 今出来ることを、するために。
 




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