53,記念






 黒鷹と白梟とこくろとこはなのすむ家で。
 「ああ、ちょっと待ってくれ給え」
 いつもの通りこくろの作ってくれた朝食を食べ終え、食器を片付け、外へと出るところで、黒鷹が呼び止めた。
 主語はないももの、明らかに向けられたその声を、流石に無視出来なかったのか、呼び止められた白梟が傍目にも仕方なさそうに振り返る。
 「……なんです」
 行動に添い、声音も迷惑そうであった。
 「はははははは。そんなに嫌そうにしなくてもいいじゃないか」
 冷たい態度もいつもの事と笑いながら肩をすくめてみせる黒鷹に、白梟の表情が曇る。
 「さっさと用件をお言いなさい」
 「ああ、すぐ済むよ。ちょっと、部屋まで来てくれないかな?」
 「何故私がわざわざ貴方の部屋まで行かねばならいのです? 話ならここで、何か必要な物があるというのなら、貴方が持ってくればいいではらいませんか」
 「……う〜ん」
 にべもない言葉に、わざとらしく困ったようにぽりぽりと頬を掻きながら笑う。
 「……分かった。実はその通り、持って来るものがあってね。今取りに行くから、その間に出かけないでくれ給えよ?」
 「私は今から自分の部屋に行きますが、あまり待ちませんよ」
 「ああ、分かった」
 苦笑しながら黒鷹が頷くのを合図としたように、同時にそれぞれの部屋へ歩き出す。合ってしまったタイミングに、黒鷹は嬉しげな鼻歌まじりに、白梟は嫌そうに眉をしかめながら。
 出て行った鳥たちを見送ったこはなが、ねえねえとこくろに話しかける。
 「バカトリ、なに渡すのかな?」
 「さあ」
 「気にならない?」
 「あまり。とりあえずおれは白梟が怒り出さないようなものならなんでもいい」
 読んでいた本から目も話さず答えるこくろに、こはなが不満げにえーと呟く。
 「見に行こうよ。そんな本なんか……なにそれ」
 実力行使で本を取り上げてしまえと回り込んだこはなが、本の中身を見て絶句する。
 「見ての通り、野草百科だ」
 「……なんでそんなの読むの」
 答えは分かりきっていたが、恨めしげに呟くこはな。こくろは得意そうに
 「食べている野草の名前くらいは知っておこうかなと思ってな」
 「って、今まで良くわかんないの食べてたの!?」
 「まあ、大体で。それよりこはな、今の季節は何か思ったよりも色々野草が豊富みたいだから、二人で採りに行かないか?」
 笑顔で誘うこくろに、これが他の誘いだったらと思いつつ
 「ぜったい、ヤダ!!」
 全力で拒否する。
 「あ、でもおれ達二人だとあんまり採れないから、こはな、今から白梟のところいくなら、あの二人にも言ってくれないか?」
 「や、やだっていってるだろ! お、おれ、外でてくるからっ!」
 言い捨てて、逃げるように、というよりは実際にまた全力で部屋から飛びだすこはな。黙って見送りつつ
 「やれやれ……」
 呟いて、とうに暗記している本を置き、こっそり下に隠していた新たな本を読み出した。



 「やあ、待っていてくれて嬉しいよ」
 ノックと共に、開けられていたドアをくぐりながら黒鷹が笑う。
 普段なら白梟は必ずドアを閉めるが、何かものを持ってくるという黒鷹のためにあえて閉めていなかったのだろう。
 とことん冷たい同胞の、滅多にない小さな気遣いが嬉しかった。
 「……それはなんです」
 黒鷹の発言については返さず、大事そうに抱えられた布に包まれた物を見ながら白梟が問う。
 大きさはまあ黒鷹の胸から腰くらいまでで、大きいというべきか大したことないというべきか、微妙な大きさである。
 落ちないようしっかりと抱えなおしてからドアを閉め、いそいそと白梟の座る椅子の前にある机に置く。
 「……開けますよ」
 答えようとしない黒鷹をあっさりと見限って結び目に手を伸ばす。はらりと布はとれ、包まれていた物体が柔らかい室内の明かりの下にさらされる。
 「……」
 「……」
 出てきたものをみて、鳥達は互いに無言だった。
 「黒鷹」
 珍しく、それと分かるくらいに目を見開きながらそれを凝視する白梟がぽつりと、ただその名だけを呟く。
 「なにかな?」
 「……貴方は、これを捨てたといいませんでしたか?」
 布から出てきたもの。
 光を浴び、優しく輝くそれは、以前白梟が大切にしていた花瓶で、黒鷹が誤って割ってしまったものだった。
 その時、烈火のごとく怒った白梟は黒鷹に容赦のない制裁を加えたのだが、しばらく気が晴れなかった。
 もう一ヶ月は経っただろうか。
 まさか、またこの目で見ることがあるとは。
 「私は捨てたとは言ってないよ」
 「ですが、あの時確かに」
 「私はこくろの言う通り、としか言ってないはすだよ。そしてこくろは『片付けた』と言ったはずだね確か。あなたの捨てたのか、という問いには頷いていたけど」
 私は破片を全部集めて自分の部屋に確かに『片付けた』から、嘘は言っていないはずだよ?
 そういって微笑する黒鷹に、そっと花瓶を撫でながら白梟が不満げに睨みつける。
 ちなみに、こくろの名が出たのはその際、黒鷹を庇ったこくろが最初、自分が割ったと申し出たからである。
 「ならば何故あの時にそう言わなかったのです」
 「だって。直してみる、とか言ってきちんと直せなかったら余計に落胆させてしまうだろう?」
 「……ですが。例え破片になったとしても私にはこれは大事なものなのです。貴方に修理を任せるよりは自分で直そうとしたでしょう――まあ、貴方にしては珍しく綺麗に直せたようですが。 ……どうやったんです」
 言って、繋ぎ目がどこなのかさっぱり分からない滑らかな花瓶を撫で続けながら、最後は不思議そうに問いかける。
 「ちょっと裏技でね。上手くいくか心配だったけど、その花瓶に対するあなたの思い入れは分かっているつもりだったからね。頑張ったんだよ。これでも」
 「……努力に対しては、もともと貴方が不注意で割ったものですから」
 方法について言及を避けたのには気づきながら、とりあえずそうとだけ言う。
 見逃してくれたのを黒鷹も気づいたのだろう。感謝するように小さく顔を一瞬下げながらやはり笑って  「ああ、勿論それはそうだから、感謝してくれ給え、なんて言う気はないよ」
 「当然です」
 大きく頷きながら、もう確認はとうに終わっただろうに花瓶を愛しげに撫で続ける白梟の様子に、黒鷹はそっと目を細める。
 「……その花瓶は、大切な思い出の品だからね」
 まるでささやくように静かに言うと、白梟も黙ったまま頷く。
 「――この箱庭が完成し、私達三人が初めて共に大きな街に降りたった日にあなたが気に入って買った物だったね」
 「ええ。そして、主も美しいと褒めて下さりました」
 それは、ヒトがある程度自立し、そしてまだ玄冬システムの発動も見えなかった頃。
 何を買ったのだ、と聞かれ、期待と、そして不安を抱きながら主に問われるまま花瓶を見せた白梟が、小さく笑顔を浮かべながら、なかなか美しいではないか、と頭を一瞬撫でられたその時から。
 その花瓶は白梟にとってかけがえのない宝物となった。
 「……戻ってくるとは、思いませんでした」
 ようやく満足したのか、手の動きを止め、黒鷹を見つめる。
 「そうだろうね」
 「その必要がないことは分かっていますが、一応礼を言います。ご苦労様でした」
 「……」
 淡々と、しかし確かに感謝の意を含め告げられた言葉に、今度は黒鷹が絶句する。
 そして
 「え、あ、いや、うん。まあ、もともと私が割ったものだしね。あ、そうそう、完璧に直っているから、無論中に水を入れてもどこからか漏れることもないよ。じゃあ、あなたは用事があるのだったね。私はそろそろ失礼するよ」
 ぐい、と帽子を深く被り直しながら一気にそこまで話し、素早くドアに向かったと思うと手を振りながら去っていった。
 特に止める気もないまま黙っていた白梟は、足音が聞こえなくなるのを待ち
 「………………本当に、あなたは相変らずですね……」
 深々と、ため息をついた。 



 「あ、おかえり」
 「やあこくろ。ちびっこはどうしたんだい? てっきり乱入してくると思ったんだが、ここにもいないとはね」
 帽子も通常に位置に戻した黒鷹が今に戻ると、てっきり二人で遊んでいるか二人ともいないかと思っていた予想に反し、こくろだけが静かに本を読んでいた。
 「あいつなら今逃げてる」
 「おや。それはまたどうして」
 「あいつが、白梟のところに行こうっていうから、ちょっと脅かした」
 言って横にある本を掲げて見せる。
 野草大全、と銘打ってあるその本に、うっと黒鷹も怯むのを呆れながら眺めつつ
 「なんかよく分からないけど、黒鷹、多分邪魔されたくなかっただろ?」
 幼い外見にそぐわない知性を宿した瞳で、じっと黒鷹を見つめる。
 黒鷹は敵わない、というように微笑んで
 「ああ、確かにどっちかと言えばそうだね」
 「だと思った」
 「ありがとう、こくろ」
 どことなく満足そうに頷くこくろに今度は別の笑みを浮かべて礼を述べる。
 「いい。それより」
 「なんだい?」
 「なんでそんなに嬉しそうなんだ?」
 「おや、そう見えるかい」
 予想外のことを聞かれ顔を手で包みながら尋ねると、こくろはきっぱり
 「見える。なんかうきうきしてる」
 「そうか……実はね、あの人に感謝されてしまったんだよ」
 以外にあっさり認め、いかにも秘密のお話、というように声を顰める黒鷹に、今度はこくろが驚く。
 「白梟が? お前に?」
 「ああ。それも、そんな必要もなかったのにね」
 「……珍しいこともあるもんだな」
 手にしたままの読みかけの本を脇にどけながら、感慨深げに言うこくろに黒鷹も大真面目な顔で
 「全くだね。もうかなりの不意打ちだったよ」
 「でもまあ、良かったな」
 「ああ、ありがとう……そうだね、うん、君たちがあの場にいたら、あんなこと言われなかっただろうし、うん。やっぱりありがとうこくろ! 君はなんて気の効く優しい子なんだ!」
 しゃべっている内に興奮してきたのか、抱きついてくる黒鷹にこくろは無抵抗のまま
 「うん。じゃあ、今日の晩御飯は全部食べるな?」
 至極冷静にそう言うと、自分を包む大きな身体が一気に硬直するのが分かる。
 「……………………こくろー」
 すがるような、情けないその声にこくろは
 「これからずっと、とか無茶なこと言ってないぞ俺は。とりあえず今晩っていってるんだから、食えよな」
 淡々としたその言葉に黒鷹はあうーと呻きながら搾り出すような声で
 「…………頼むから、肉も入れてくれ給えよ?」
 「分かった」
 こくろは、嬉しそうに頷いた。



 翌日。
 「あれ? この花瓶、バカトリが割ったやつ?」
 「ええ。もうあのようなことはしないで下さいね」
 「ははははははは。肝に命じているよ」
 「まあ、あれだけやられればな」
 「……おい、ご飯の準備が出来た」
 「そうですか」
 「今日は昨日の夜みたいなのじゃない?」
 「いいから残すなよ」
 「えー」
 「ははははは。じゃあ行こうか」
 「………………黒鷹」
 「……なんだい?」
 「あれだったんだ」
 「まあね」
 「……良かったな」
 「……ありがとう。あの花瓶にまつわる記念が、私にも出来たよ」
 「?」
 「なんでもないさ。さあ、ご飯だ」
      




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