30,仕事場






 散乱する書類。
 この部屋に運び込まれる前は整然と項目ごとに分けられ、皺一つ無く美しく真っ直ぐだった紙々。
 決して愛しいわけではないが、見ていて身の引き締まるような潔さを感じる書類達。
 それが、今では。
 あるものは紙飛行機となり、あるものは落書き用紙と変わり……あるものは、意味も無くただぐしゃぐしゃに丸められている。
 恐らく、予備知識がなければ、それらがかつて書類だったとは誰も思わないだろう。
 くらりと眩暈のようなものを覚え、片手で額を押さえながらもう一方の手を壁につく。
 「あー! 銀朱おかえりー!」
 「やあ、お邪魔しているよ若輩君」
 「……おっかしいナー。なんで飛ばないンだろー……ああ、隊長オカエリー」
 にこにこと、少なくとも表情だけを見るなら邪気の無い笑顔が三つ。
 いずれも、見知った顔ではある。何度か食事もしたことがある。というか、ほぼ毎日顔を合わせている。
 が、しかし
 「貴様等ッ! 人の職場を荒らすなと何度言ったら解るんだ!?」
 いくら知り合いだからと言って、無論赦される行為ではない。
 俺が怒鳴るのも無理は無い事だろう。きっと誰もが認めてくれる。それは確信している。しかし、今開いたドアの向こうから痛ましげな表情でこちらを眺めている文官が端的に示すように、味方をしてくれるものはいない。
 遣る瀬無さを感じつつ、何度目かの台詞をとりあえず一番の年長者、表面は満面の笑顔の黒の鳥に視線を合わせる。
 「ここは遊び場ではない! ましてや、最終的には陛下のお目に触れることもある書類を荒らす……いや、台無しにするなど言語道断! 書類を戻して、どこか他の所で遊んで来い!」
 びしっと散々と広がる書類達、こはな、救世主と順々に指差し、最後に黒鷹に指を突きつける。
 すると
 「銀朱かっこいー!」
 「はっはっは、段々若輩君もアクションが大きくなってきたねぇ」
 「あはははは、ホント」
 嫌味たらしく、いや、こはなだけは心からなのかもしれないが拍手等を送ってくる。
 「き、貴様等……!」
 全く反省の欠片もない様子に、顔が引きつるのが分かる。
 「あはははは、隊長ゴメンゴメン」
 「誠意が感じられん! というか、そもそもほんの5分ほどの間でどうやったらここまで散らかせるんだ貴様等は!?」
 「はっははっはっは、私達の実力を持ってすればこれくらい造作もないよ。ねぇ大君? こはな」
 「ダネェ。ていうかもっとやろうと思えば出来るなー」
 「ねー!」
 「誇るなッ!」
 叫ぶと、今度はわざとらしくやれやれ、と呟きながら肩をすくめて首を振りながら
 「ふぅ。やっぱり若輩君はまだまだ遊び心ってものが分かってないようだね。嘆かわしい。私達はこんなにも溢れているのに。もっと精進し給えよ」
 「隊長は、なんていうか真面目すぎるんだよネー。そこがいいんだけど」
 「えーと……銀朱のばーか?」
 「ええい! 何も思いつかないからと、無闇に人を馬鹿呼ばわりするんじゃない! そこの二人! いい加減笑うのを止めてとっとと片付けんか!?」
 「エー。それは無理カナー?」
 「片付けるも何も、元の位置なんて覚えてないものねぇ」
 「ねー」
 悪びれずまたあははははと声を揃えて笑う三人。
 「……せめて、折った紙を戻すとか、ああもう! なんでこんなにぐしゃぐしゃなんだ!?」
 「あーそれはだれが一番ぐしゃぐしゃにできるかやったやつー」
 「ちなみにそれは俺が勝ったんだけどねー。なーんで紙飛行機、黒鷹サンには勝てないんダロ?」
 「ははははははは! バランスが大事なんだよ大君!」
 「…………」
 「あー銀朱が頭かかえてるー。ふんでいいー?」
 「ウーン、じゃあ俺もー」
 思わずうずくまっていると、不穏な会話と共になにやら至近距離で動く気配。
 「ってやめんか貴様等ッ!?」
 「わっ!」
 「オットあぶない」
 「ありがとーおっきいぼく」
 勢い良く立ち上がったので、言葉の通り踏みつけようと右足を大きく上げていたこはながよろめいた。すかさず救世主が支えたが……なんだその目は。俺が悪いとでもいいたいのか貴様等。
 「大人げないなあ若輩君は。ここは敢えて踏まれてあげるのが器量というものだよ?」
 「うー。銀朱のばかー。もういいよー他のところであそぼー」
 恨めしげにこちらを睨みつけながら……だから俺が悪いのか!?……ぐいぐいと救世主の袖を引く。
 そんなこはなに優しい笑みを向けながら
 「そうだネー。じゃあ何所に行こう?」
 等といいつつ手を引いてドアへ向う。
 「待て。その前に散らかしたものを片付けろと言っているだろう!」
 「じゃーこくろにあいたいー」
 「だってよ黒鷹サン?」
 「うーん……三人かー。ちょっと人数オーバーだけどまあいいかな。よし、連れていってあげよう! 私は優しい鷹だからな!」
 「やったー! 鷹ありがとー!」
 「だから待て貴様等!」
 「ん? なんだい若輩君も来たいのかい?」
 「なっ! そんなわけないだろう!」
 「そうかい? じゃあ頑張ってくれ給え」
 網膜に白い光を感じ、は、としたときは遅かった。
 眩い閃光の消えた後には、想像通り誰もいなかった。
 「やられた……」
 がっくりと肩を下ろし呻くと、後から
 「いやーお疲れ様でした隊長」
 やはり聞き慣れた声に振り返ると、そこには先程遠くから不愉快な表情でこちらを眺めていた文官の姿。
 「うわあー。今日はまた派手にやられましたねぇ。あ、これ追加の書類です。机の上、置いていきますね」
 きょろきょろと荒れ果てた部屋を眺めながら、また結構な量の書類を言葉の通り机に置いていく。
 「……鬼か」
 「おやそんな人聞きの悪い」
 とぼけた表情でくすくすと笑いながら足元に転がった紙を拾い、丁寧に開いていく。
 「ああ、一応未決済の物ばかりみたいですよ隊長」
 素早く書類を広げながら良かったですねーなどと呟く文官に、同じく紙飛行機となったものを開きながら
 「単に上の、押さえの無いやつから使っていっただけだろう。決済済みのはファイルにしまうからな」
 「そんな実も蓋も無い」
 「事実だ」
 「……まあ、それはそうですかね」
 「なんだ、やっぱりお前もそう思っているんじゃないか」
 「ええ、私頭はいいですから」
 「……」
 いや、こいつはこういう奴だと分かってはいるのだが。
 「しかし、あいつらは人の職場をなんだと思っているのか……」
 「遊び場じゃないですか?」
 「……だろうな……くそ、この書類は完全に書き直しじゃないか」
 「でもまあ、隊長は確かにここでお仕事をされてますよ。 ……あ、それ多分なんとかなりますよ」
 「当然だ。あいつらさえ来なければもっと仕事をするぞ俺は」
 「いえいえそうではなくて」
 どうやったら直せるのか計り知れないほどによれよれになった書類を渡しながら、文官の顔を見る。
 無言でどういう意味か促され、困ったように笑いながら
 「ええと、怒らないで下さいね? つまり、救世主様達のお相手をしていただくのも立派な隊長のお仕事、というのが私達の見解でして」
 「…………おい」
 今、さらりととんでもないことを言われなかったか?
 「なんと申しますか、救世主様達がはりきって遊ばれると、その周りはさながら台風が通り過ぎたような有様になりますからねー。かと言って、相手は救世主様達ですから、私達文官や一般兵士では恐れ多くてとても文句なんて言えませんし。やっぱり、隊長でないと」
 うんざりとしているだろう俺の顔を楽しげに見やりながらとうとうと説明しだす文官。
 「ですから、救世主様達に書類決済の邪魔をされても、それはそれで立派なお仕事ですから、あまり気になさらないでいいんですよ」
 「……そんな慰め方をされてもな」
 「慰められないよりはよくないですか?」
 「……」
 「……」
 「……とりあえず、書類の復元を手伝ってくれるか?」
 「何を今更」
 我ながら投げ遣りな問いかけに、笑顔で頷かれ。
 こんな職場を、好きだと思ってしまう俺は、やはり甘いのだろうか?
   




  *花帰葬部屋へ*  *NEXT*