071.涙と永遠






 夢を見た。
 悲しい夢だった。
 大切な人がいた。
 でも、その人は僕を置いて旅に出る。
 その事を知り、僕は必死でその人を追い駆ける。
 超常的な感覚で、常にその人が何所へ向っているのか分かる。
 僕は必死で追い駆ける。
 見知った街。恥も外聞も無く、大声でその人を呼びながら。
 必死で必死で追い駆ける。
 そして、ついに、追いついた。
 僕は大声でその人を呼びながら抱きつく。
 だけど
 その人は、僕を覚えていなかった。
 まるで空気でも見るようななんの表情も無い瞳で僕を見て、腕の中からその人は消えた。


 ――父さんっ!

 
 はっと僕は覚醒する。
 夢。
 夢だ。
 ベットの中、瞳を閉じたまま、夢などを気にするなと自分に言い聞かせる。
 絶対に目は開けない。
 開けてしまえば、一日が始まる。始まれば、こんな弱い心は許されない。
 まだ夢うつつの中で、僕は感情を治めなければいけない。
 夢なんて気にするな。
 実際にはあの人は、僕をあんな目でみたこともないのだから。
 ただの、夢。
 だけど、だけど。
 夢の終わりに、一瞬抱きしめたあの感触。その感触だけは、過去に体験した感触に忠実で。
 そして、同じ感触はもう、二度と。
 ――いけない
 目が熱くなってきた。
 泣く、というのが分かり、手探りで布を探し、閉じたままの目に押し当てる。
 脆弱の証が零れ落ちる前に、なんとか間に合った。
 「……ぅ」
 微かに一音、唇から嗚咽が漏れる。
 今の僕はおかしい。何を一人で感傷的になっているのか。
 頭の片隅で、妙に冷静に呟く僕がいる。だけど、感情に支配された僕の体は水を吸い、肌に張り付いた為手で支える必要もなくなった布はそのままで、僕はいつの間にか脇にずれていた枕を抱きしめている。
 大き目の枕ではあるけれど、勿論夢の、過去の感触には程遠くて。
 ――目に布を貼り付けて、枕を抱きして横たわる姿。とてもじゃないけど誰にも見せられないな。
 理性が、呆れたように呟く。
 感情が、枕じゃない確かな感触を求めている。
 ……そうしていたのは、多分数分だろう。
 枕を抱きしめたまま、もぞりと身を起こす。
 流石に布が落ちた。
 ――大分落ち着いてきた。さあ、早く余計な水分消費を止め、顔を洗おう。今ならまだ目は赤くならない。
 ――誰かに抱きつきたい。
 ――誰に? 彼に? それとも彼女に? 無理だろう。彼らはおかしいと思うだろう。気付かれるなんて、許せないだろう。
 ――じゃあ彼は? もしくは彼なら。
 ――駄目だよ。やはり彼らも勘が良いし。それに、誰であろうと、やはり少しでも違和感を与えたくないなら諦めるべきだ。布団でも丸めて抱きしめるがいいさ。
 ――そうだね、そうしよう……


 「……何やってんの? 五月蝿いんだけど」
 「え?」
 突然、声をかけられ思わず目を開ける。と同時にぼとりと手に雫がかかる。
 「……」
 我ながら間抜けな顔をしていたと思う。まさしく呆然、とした心境で僕は彼……ルックが話しだすまで固まっていたから。
 「ねえ」
 どうでも良さそうに、どことなくいつもよりも不機嫌そうな面持ちでルックが口を開く。
 「あ……夜這いかな?」
 可能な限り平静と思われる声を出してみる。見られた、見られた、見られた。
 咄嗟にいくつか言い訳を考えて、でもこの状況では余計に見苦しいと悟り、ルックの次の言葉を待つ。
 「馬鹿じゃないの……敵襲ではなかったようだね」
 「え?」
 言った後、先と同じ音と気付き、本当に今の自分は動揺しているなと思う。
 「僕はぐっすり寝ていたんだけどね。急にあんたの紋章の気配がしたなと思ったら気配は微弱なままずっと消えない。場所はこの部屋だし、また前みたいに暴走させた、という風でもないようだしね。ひょっとしたら敵襲かと思ったんだよ」
 彼にしては長台詞で説明してくれる。
 自覚は全くなかったのだが、精神の乱れがソウルイーターに伝わった、ということだろうか。
 怪しげな理解の間に、僕の心も落ち着いてきた。
 「ああ、じゃあ心配してくれたんだ?」
 微笑んで……笑顔になっていたはずだ……ルックがさも嫌がりそうなことを言ってみる。すると
 「まあそうかもね。 ……しかしまさか枕抱きしめて泣いているなんて思わなかったけどね」
 「……」
 思わず黙り込む僕に、唇の端を上げたままルックが
 「あんた、この状況で良く僕にそんなこと言おうと思ったよね」
 「……そうですね」
 恥ずかしさを一杯に感じながら、いっそ開き直ってしまえと左手を持ち上げ、くいくいと手招きをする
 「それはそうと丁度良かった。ルック、ちょっと」
 くいくいくい。
 「……その枕の代わりにされるのは御免だよ」
 胡散臭いものでも見るように不審の視線を投げかけつつ、素直に近づく。
 良い勘をしている。
 「まさか」
 にっこりとそう笑いながら、一気に立ち上がり、細い両肩に手をだらんとかけるようにもたれ掛る。
 「ちょ、あんたね」
 即座に怒気を含んだ声。
 「枕の代わりじゃないよ。元々枕が代わりだから、原点は別。予想していたでしょ?」
 若干ずるいな、と思いながら耳元でそう告げる。
 案の定
 「……重いんだよ」
 ぼそり、とそう呟いただけで、振り払いはしなかった。
 

 「……うん、ありがとう」
 やはり数分ぐらいそうさせてもらって、完全に平穏に戻った僕は細く、だけど暖かい体から身を引いた。
 至近距離で見るルックの顔は、あからさまに迷惑顔。
 「ありがとう」
 笑顔でもう一度告げると、ふん、と鼻を鳴らされた。
 「迷惑だし、気持ち悪いんだよね」
 「だろうね」
 「……僕は寝に戻るよ」
 寝巻きにショールのような布を羽織った姿のルックはそういって杖を掲げる。
 なんとなくもう明け方近いと思っていたのだが、実際にはまだ真夜中をようやく過ぎたところ、といったところだった。
 「……ねぇ」
 「何さ」
 唱えかけた呪文を中断し、迷惑顔のまま促される。
 「やっぱりこれって、ずっとなのかな?」
 「……まあ、少なくともしばらくはそうだろうね」
 「って僕が何のこと言っているのか分かっているのかい?」
 「さあね。ただ予想がつかないわけじゃわけじゃないよ。お坊ちゃん」
 「そう。まあ想像に任せるよ。ねえ、ルック」
 「何」
 「ありがとう」
 「………………馬鹿じゃないの」
 「うん。偶にはね」
 「………………おやすみ」
 「おやすみ。ルック」
 迷惑顔から不機嫌顔に移行したルックが消えるのを見送って、いっそこのまま起きてようかと少しだけ迷ってからバタリと再びベットに倒れこむ。
 頭の片隅にまだ夢の残骸が残っていたが、大丈夫。この身体に残る暖かみの方が強い。眠れる。
 「……おやすみ」
 誰にともなく呟いて、再び眼を閉じる。
 次に目覚めた時は、強いリーダーに戻る為に。








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