032.静寂の森で






 「……今日は、ここで野宿、かなー」
 深遠なる森の中、微かに遠くから獣の鳴き声らしきものが聞こえる中、多分に気まずさを含んだその声は悲しいくらいによく響いた。
 ――はあ
 当ても無く視線を彷徨わせる少年の後に佇む少年の、さほど大きくもない溜息もまた響き。
 「……だから、悪かった、て」
 ひくり、と顔を強張らせた赤い服に金輪を嵌めた少年、シュウユウが溜息をついた少年、ルックに不貞腐れたように小さく謝る。
 「全く、このワタシに野営をさせるとはな。しかし安心したまえ。例えどんな魔物が現れようと、スレイ軍で最も頼りになるこのワタシが一緒なのだ。危険はない」
 「……あーうん、ザムザ、ありがと……?」
 「ゲンゲンもついているぞ!! 心配ないぞ!! それにゲンゲンは野宿も結構好きだ!!!!!」
 「ムムー!」
 自信に満ちた表情でふんぞり返るザムザ、ゲンゲン、ムクムクの三名。コボルトであるゲンゲンの尻尾は、野宿が好きという言葉を肯定するかのようにぱたぱたと左右に揺れている。
 主にムクムクとゲンゲンに焦点を合わせて、
 「ありがとう皆! 本当にごめんね!」
 先程までとは打って変わった快活とした表情で笑いかけるシュウユウ。こちらが普段の顔なのだが。
 「でもシュウユウ、もう手鏡とか大事なものは自分で持ってなきゃ駄目だよ!」
 緊張が解けた様子のシュウユウに、今まで黙していた彼の義姉、ナナミが呆れと怒りと赦しを混ぜた器用な表情で嗜める。
 「うん。今度から気をつけるよ」
 「……全く……熊に渡してそのまま、だなんて馬鹿じゃないの? しかも、忘れたことすら気付かず、何が『直ぐ帰れるようになったんだしちょっと深くまで探検してみよう』なんだか。突き合せられるこっちの身にもなって欲しいね」
 素直に謝り続けるシュウユウに尚も痛烈な言葉を投げつけるのはルック。
 「……だから、悪かったて」
 むぅ、と顔を膨らませながらも謝るしかない。
 「もうシュウユウったら本当に馬鹿でごめんね、ルック君。反省してるし、許してあげてくれないかな? ねっ?」
 「……ふん」
 罪の無いナナミにまで謝られ、つまらなそうに鼻を鳴らす。とりあえず、ルックなりの了承の印であろう。シュウユウを見るその瞳には、まるで『お姉ちゃんに庇ってもらえて良かったね』とでもいいたげである。
 姉の好意は嬉しいのだが、余計に恥ずかしくなったシュウユウは若干赤くなった顔で黙り込む。無言の二人の心情に気付かないのかナナミはふと首を傾げながら
 「あれ? でもでもシュウユウは、昔から大事なものは自分で持ってたよねぇ? なんでビクトールさんに渡したの?」
 「ああ、ほら、この間肉弾戦万歳野郎パーティー組んだじゃん?」
 「……ええっと?」
 「ほら、他にフリックとかさ。それで敵ばこばこ倒していたんだけど」
 そこで苦笑し
 「僕これまであんま鏡とか割れ物持ち歩いた事なかったし? こうトンファー振り回しながら僕は思ったわけです。『割ったらやばい』と」
 「うんうん」
 「……ちゃんと包んで保護してないわけ……」
 「五月蝿いルック。で、その戦闘が終わった後にビクトールに言いました」
 「うんうんうん」
 「『ずっと戦闘に参加出来てないんだし、コレ持ってろ』」
 「ええっ!?」
 「ぷっ」
 「……熊は遅いからね……」
 「ルック正解。ホントさあ、強いんだろーけどいっつも遅くて攻撃最後で? 役立てよってゆーか絶対あの体、脂肪も少なくないぞ。酒飲みすぎ」
 「でもシュウユウ、その言い方は酷いよ! ビクトールさん怒らなかった?」
 「すっげえ凹んでた。で、フリックとかバカ受けして笑ってた」
 「ふっ。そのような筋肉だけの男を連れて行くからだな。速さと魔法と体術、美貌! 全てを兼ね備えた、そう、このワタシを連れていけばよかったのだ。以後、気をつけるように」
 ふぁさ、とわざわざ被っていたフードを下ろして髪を掻き揚げてみせるザムザに負けじと素早く
 「ゲンゲン! ゲンゲンも頼りになるぞ!!」
 「ムムー! ムー!」
 情熱派の二名が名乗りを上げる。
 「あ、おー、ありがとう」
 うっかり頷くわけにもいかず曖昧に微笑むシュウユウ。そのまま誤魔化すように周囲を見ながら
 「ていうか。そろそろ暗くなってくるし。ご飯の材料とか、薪とか。探してこなきゃ。川はさっき近くにあるの見たから場所はまあここでいいと思うんだけど」
 「あ、そうだよね、準備しなきゃね!」
 あっさり話しに乗るナナミ。ザムザ、ゲンゲン、ムクムクもきょろきょろと辺りを窺っている。
 内心呆れながら、しかし暗くなるのは本当なので何も言わないルック。
 「じゃあ、僕が食材探すから。な、ナナミも」
 「私は勿論ご飯を作るね! 美味しいの頑張って作るから! 調味料とか小さいお鍋とかおたまとかも持ってるよ!」
 何故持っている。
 いやそんなことより。
 シュウユウの言葉を遮り、嬉々として告げられた言葉に、シュウユウの表情が凍りつく。
 「あ、いやでも、ナナミ」
 「よおし、頑張るぞ! じゃあムクムクとゲンゲンさんが薪拾い、ルック君とザムザさんは水汲んできて! 私はここで窯組みとかしてるから!」
 「あ……ありがと……」
 「ムムー!?」
 勢いに押され思わず頷いてしまったシュウユウに、幼馴染の悲しさで確信しきっている、訪れるであろう恐怖を訴えるムクムク。ザムザとゲンゲンは未だ被害にあったことはないので異論はないようだ。ザムザは野菜がいい、などと言ってはいるが。
 そして、悲劇を体感したことのあるルックはというと。
 「ああ、僕の分はいらないよ」
 済ました顔でそう言った。
 「ええ? なんでなんで?」
 驚くナナミ。対してルックは唇の端を上げながら
 「……スパゲッティーとトマトジュースにサラダが荷物の中に入っているからね。そっちを食べるよ。悪くなるし」
 「あ、そうなんだ。うん、分かった。じゃあ五人分ね!」
 厳密にこのメンバーで「人」と言ってしまっていいのかいいのかは知らないが。
 まんまと地獄から抜け出したルックに凄まじい怨唆の視線を投げかけるシュウユウ。
 そして
 「ムー! ムムムー!」
 「ど、どうしたのムクムク!?」
 見も世も無くルックの足元に抱きつくムクムク。その目からは今にも雫が零れ落ちそうな程に潤み、必死にルックの顔を見つめる。
 無論ムササビの言語などルックには知りもしないが、状況から見て何を言いたいのかは分かる。
 さてどうしようか。
 これが縋り付いてきたのが誰か他の人間なら迷わず振り払うのだが。相手がムササビとなるとなんと言うか虐待のようで感じが悪い。
 無言で考えていると、がし、とムクムク越しにシュウユウが正面から肩を掴んできた。
 「何。放しなよ」
 「……ムクムクだけでも、救ってくれない……?」
 反射的に放たれた言葉に重なって言われたのは救済を請う言葉。
 シュウユウの目まで潤みながら
 「せめて、ムクムクだけでも……! あんまり食べないし、ルックだって小食の方だろう……!?」
 「あんた……なんでそんな必死なの」
 「だって! ムクムクだよ!? 可愛いし、可哀想じゃないか!」
 「……分かったよ」
 まあ、確かに自分にとってこれが一食というのは多いし。
 頷くと、シュウユウとムクムクの目が輝いた。
 「ムムーッ!!」
 感謝の念を込めて順々に抱きつくムクムク。
 「なになに? 何の話なの?」
 小声で交わされた話の内容が分からず混乱するナナミ。そんな姉に爽やかな笑顔を見せつつ
 「ごめんナナミ。ムクムクの分もいいや」
 「えー!? なんでなんで!?」
 「うん。実はムクムク、今スパゲッティーに凝ってるんだ」
 「え? そうなの?」
 「流石にスパは作れないでしょ? ないなら諦めるけど、持ってるって言われたら飛びついちゃったんだよ」
 「ふぅん、そうなんだムクムク」
 「ムー」
 こくこくと頷くムクムク。
 「良かったなムクムク。わけてもらえて」
 「ムムー!」
 「さあて。じゃあ、そろそろ本当に探しに行こうか。あ、配役はさっきナナミ言ったとおりでいいよね? 川は右の茂みつっきたらいけると思うから」
 「仕方ないね」
 「ふむ、このワタシが水組みとはな……」
 「よし、ゲンゲン行くぞ!! 薪いっぱい集めるぞ! いっぱいの、いっぱいだ!!」
 「ムムムー!!」
 「じゃあ皆いってらっしゃーい」




 「ということが昔あったわけなんですよ」
 「なんて言うか、面白いメンバーだったんですね」
 憮然として言うシュウユウに、タクトは無駄に優雅な動作で紅茶を飲みながら楽しそうに微笑んだ。
 「いや、そこじゃなくて。おい、ルック」
 「なにさ」
 「なにさじゃなくて。どういうつもりだよ」
 同じく紅茶を含みながらどうでも良さそうなルックにずず、とやはり紅茶をすすりながら睨みつける。
 「何が。あの後ちゃんとムクムクには分けてやっただろ」
 「それじゃなくて。なんで転移魔法が使えるって言わなかったんだよ! 言ってればそもそも野宿自体しなくて良かっただろ!」
 「は? 何言ってんの? 元はといえばあんたが瞬きの手鏡を忘れたのが元凶だろ。自業自得を、他人の所為にしないでくれる?」
 「う……でも、おかげでやっぱりザムザもゲンゲンも倒れたじゃないか!?」
 「あれ? こっそり味付けを修正しなかったんですか?」
 「ナナミが調味料持ってたから出来なかった」
 「成る程。それにしても、よく食べ物を持ってたね。ルック」
 「……あの冥土直行料理を食べさせられて以来、出かけるときはずっと持ってたよ」
 その時を思い出したのか、そっと口を押さえてぼそっとつぶやくルック。
 「備えあれば憂いなし? まあ自分の運が悪いことは自覚してるしね」
 「煩いよ」
 図星だったのか、憮然とするルック。放っておかれているシュウユウは頬を膨らませながら
 「無視すんなよ! 毎回そんなめんどくさい事してんだったらゲロった方が……痛!?」
 「お茶の席で行儀が悪いよ」
 「……このお坊ちゃんめ……とにかく、言っちゃえばよかっただろ!」
 弱くはない力で叩かれた頭をさすりながら再び文句を言うと、ルックはあからさまに溜息をつきながら
 「……緊急事態でもない限り、わざわざ言う事じゃないんだよ……」
 「なんでー? そういえば真の紋章持ってるってことも大分後になってから知ったし。隠すことじゃないだろ」
 心底不思議そうなシュウユウに、タクトとルックが視線を交わす。そのまま促され、苦い笑いと共にタクトが口を開いた。
 「…………真なる紋章に関しては、隠すことなんだよ。その証拠に、知っていたはずのビクトールやフリック、アップルに軽薄なシーナまで。誰も言わなかったでしょう?」
 諭させるように言われ、はっと慌てて手を振りながら
 「いやいやいや。僕だって一般にはそんなモン隠した方がいいって分かりきっているけど。一応軍主サマな僕には話してくれても良かったんじゃないかなって」
 「ああ。そういうこと。でも、だったら転移を教えなかったと同じ理由なのかな? ルック」
 得心がいったように頷くタクト。ルックは肩をすくめるだけで何も答えない。
 「何? つかなんでわかんのタクト」
 無理もない質問に、ことさら華やかな笑顔を向けると
 「それは、多分僕で懲りたのかと」
 「はあ!?」
 「……そちらこそ、自覚はあるようだね……」
 あんまりな理由に当惑するシュウユウ。うんざりしきった様子のルック。二人の反応を楽しそうに見やりながら尚もうきうきと
 「僕がリーダーやってた頃、もうほぼ毎日のようにお世話になったっけ?」
 「世話になったといいながら感謝を現されたことはないけどね」
 「そんな。毎回凄い感謝してましたよ? だからほら、今もこんなに愛が溢れて」
 「気持ち悪いこと言わないでくれる」
 「あ、ちょい、二人とも」
 片方だけにこにこと話し合う二人の目前に指を蛸のようにくねらせながら気を引く。
 「てことは何? タクト、昔は毎日のようにルックに転移とかさせてたってこと?」
 「そうなりますかね」
 「――ッじゃあなんで今は僕のお願いにいちいち文句言うんだよっ!?」
 があっ、と吼えるシュウユウにタクトは心底愉快そうに
 「お馬鹿さんだねシュウユウ」
 「あ?」
 「だから、僕で懲りたんでしょう?」
 「ってタクトの所為かよ!」
 「ふふふふふ。でも、僕の時もやっぱり文句は言われてたからそこは一緒。 ……ねえ、それよりシュウユウ」
 「あんだよ」
 「なんでそんな変なメンバーだったの?」
 「ってまたそこ……」
 いきなり最初の話題に戻させ脱力するシュウユウ。
 目をきらきらとさせて見つめてくる美麗な顔を半眼でみやりながら
 「別に……たしかあの頃、とにかく変なメンバーで行こうって一人でやってて。えっと、あれは多分『仲良くなったら異様な感じのパーティー』とかそんな感じ」
 「ふふ、本当に君は面白いね」
 「全然面白くないよ」
 結構な数で、その様々な『変なパーティー』に組み入れられていたのを思い出したのだろう。憮然とするルックににやりと笑いかけつつ、といってもね、と口を開く。
 「なんかバランス悪いし。すぐ飽きたんだけどね」
 「だろうね」
 「タクトはやった? へんなパーティー」
 「いえ……うん、特に僕は……」
 「つっまんねーの」
 「ふふ……まあ、実利主義でしたから、あの頃は」
 「ふーん。それって」
 「ねえ」
 尚も問いかけようとしたところで、今度はルックが遮った。視線の先には、空になったケーキ皿とティーカップ。
 「何? おかわり? 持って来ようか」
 「冗談。そんなことじゃなく。ねえ」
 「ん?」
 「あんたさ、大事な話があるって、わざわざあんたの部屋まで呼ばれたのは、こんな話する為だったってわけ?」
 静かに静かに問いかけられ、だがシュウユウはあっさりと
 「うん。当たり前じゃん?」
 「馬鹿じゃないの」
 「んだと!? しょーがないだろ、昨日ベットの中でふと思い出したというか思いついちゃったんだから、これは文句言わないわけにはいかないだろうが当然!」
 「そんなのはあんただけだよ……」
 「意外とねちっこいねシュウユウ」
 即答で糾弾され、ががんっとショックを受けた顔を作る。
 「こういう演技は苦手なようだね」
 「……うるさーい」
 「ともかく、これで用件は済んだね。僕は帰るよ、馬鹿馬鹿しい」
 「では僕も」
 静かに席を立つルック。微笑みながら習うタクト。
 「なんだよ二人してー。ノリわりー」
 ぷう、と頬を膨らませて抗議するシュウユウ。それにタクトは包み込むような笑顔を向けて
 「君は来ないつもりなのかい?」
 「余計な事言わなくていいんだよ」
 即座に迷惑そうな顔になるルック。対照的に輝くシュウユウ。
 「お茶も終わったし、どうせなら外でってね」
 「さっすがタクト。だよな」
 「です」
 「……」
 無言で扉に向おうとするルック。が、すぐさま反応したタクトに袖をつかまれ強制的に止められる。
 「ちょっと」
 「じゃあ、その森にでも行こうか」
 「……タクトっていい性格してるよな」
 「ありがとう。ルック」
 「……何」
 袖から肩へと手を伸ばし、促す。何かは分かってるだろうに益々顔をしかめ、抵抗の意を示すルック。
 「場所は覚えているんでしょう?」
 「あきらめろって。大丈夫。僕も夕食には戻るようにするから」
 にこにこと英雄と、きっと英雄と呼ばれるだろう少年二人にみつめられ。
 深い深い溜息を吐いた数秒後、部屋の中を淡い緑の光が包んだ。
 









 


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