022.大切な幻と現






 今となってはもう、大分前……どころではない、大昔の記憶。
 鮮やかな森の緑の中、長い黒髪はいつもゆらゆらと揺れていた。
 長い長い黒髪を。頭の上にまとめて。
 狩となったらまるで彫像のように動かなくなるくせに、普段はまるで弾むように地面を蹴りながら、ひっきりなしに動くものだから、その動きに合わせてゆらゆらゆらゆら。
 いつも揺れていた。
 黒い髪。ずっと外に出ているのに白い肌。優しい目。明るい笑顔。 ――笑顔。
 俺の弱さと罪の形。象徴。
 随分と時間が経っているのに、色あせることなく今も目前に浮かんでくるそのその幻影。
 大切な幻。罪の象徴。笑顔の断罪。
 お前は、今の俺を見たらなんていうのかな?
 ……なんとなく、ズルイ、とかいいそうだけど、それよりはやはり、おめでとう、とか良かったね、とか言うような気がする。
 底抜けのお人好しで、頑固で、我慢強くって、優しかった。
 つまりは、大馬鹿者だった。
 幻が更に笑う。俺の勝手な想像で。もしそう言ったならきっと笑うと思うから。
 ごめんな。
 幻に向かって謝ってみる。
 ごめんな、もう自分でも諦めたと思ってたんだけど、やっぱり諦めきれなかったみたいだ。
 繰り返す罪。脆弱な心。
 でも。
 幻に言い訳をする。
 でも。こいつは、なんか違うんだ。違う気がする。
 想いははっきりしているのに、表現する為の言葉がみつからず苛立つ。
 こいつは、まだほんのガキもいいとこなんだけど。それでも、他の奴らとは違う気がする……いや、お前に文句があるわけじゃないんだけど、そう、こいつは、あいつみたいな感じがするんだ。同じ様に呪われて、でもそれを克服出来た、奇跡みたいなあいつと。そう、そうだ。こいつは、あいつに似ているんだ。それに、俺も前と違って少しは制御できるようになったと思うし、だから、だから
 「ねえ?」
 「……あ?」
 声をかけられ、ふ、と思考が途絶えた。同時に、記憶通りの光景が再度認識される。
 「何回かむわけ?」
 幼い顔で呆れたように問いかけてくる。生意気な。
 ずっと口内に駐留していたイカを飲み込むと、やれやれと肩をすくめてみせる。
 「おいおい。焼きイカは噛めば噛むほどうまいんだぜ? それに、イカは消化が良くないからな。ちゃんと噛まないと駄目なんだ」
 「ふーん」
 「解ったらお前ももっと噛めって」
 にっこり笑いかけ、がじっと、手にした焼きイカの端を歯で挟み、漢らしく引き裂いてみせる。
 「おっ」
 だらりとイカの端を口から垂らし、不敵に笑うと、早速真似しようと同じ様にイカの端を咥えはじめる。
 「一気に引けよ」
 「ん」
 もごもごとイカを噛みながら忠告すると真剣な顔で頷き返してくる。
 その様子を微笑ましくみながら、まだ視界の片隅に佇む幻を一瞬見、直ぐに視線を自身の右下方へ修正する。
 ……悪い、自分の都合のいいお前に言い訳して、自分を赦したかったんだ。もう、言わない。ごめん。
 目の前の子供にバレない様そっと溜息をつき、また視線を子供に戻す。
 黒い髪。白い肌。明るい笑顔。おまけに、最近は緑のバンダナを愛用し始めている。
 「な」
 「んー?」
 首尾よく引き裂いたイカを見せ付ける子供にうまいうまいと頷きながら話しかけると、疑問系に唸りながら首を傾げた。育ちの良いこの子は口にモノが入っているときは極力しゃべらないようにしている。
 「お前、髪さ」
 「ん」
 「あんま伸ばすなよ?」
 「ん?」
 「伸ばしたいなら、ボーダー肩までな」
 「んんー?」
 器用にん、だけで会話を続ける子供に我ながら勝手なこと言ってるなーと自覚しながら真面目に頷く。
 「縁起、悪いんだ。嫌か?」
 「ん……」
 問いかけると、一瞬思考するように頭にぺたぺた触った子供は、ん、と言って頷いた。
 「ありがとな」
 「んーん」
 ふるふると首を振る。
 そして俺の髪を指差し
 「ん!」
 「ああ、俺も伸ばさないから」
 約束すると、満足気に頷いた。
 「おー。 ……つか本当良く分かるよな、俺ら」
 「んー……だって、親友だもの」
 ごくん、とようやくイカを飲み込んだらしく、ふう、と息をつきながら笑いかけてくる。
 「だよな」
 俺もそれに笑顔で返す。
 親友。
 俺にとってその単語は約束された災いで、罪でしかないのに。
 屈託なく頷ける自分がここにいる。
 それも、まだまだ俺はこいつと仲良くなるだろう。 
 それが判る。
 判るのに。
 「じゃあ親友、外行くか」
 「今から? ご飯間に合うかな」
 「んー大丈夫じゃね?」
 「かな。近場ならいいよね!」
 「そーゆーこと!」
 ふざけ合いながら、まるで外見通りの年齢であるかのように遊びに行くのを止められない。
 視界の隅の幻が笑う。
 俺の自己満足の作った幻。
 それでも、それはおまえを忘れていないということだから。
 きっと俺はこの先も、何度もお前を視る。
 だけど今は。
 ……悪いな。
 一度強く瞼を閉じ、再び開くと、そこに映るのは自分の先を走る子供だけ。
 悪いな。
 今は、この現実を見せてくれ。
 











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