023.赤色の三日月






 夜。
 その庭園は、静寂に見舞われていた。
 陽の中であれば、そこかしこに整然と並ぶ珍しい植物の数々や美しい花々、それらに誘われる鳥や小さな昆虫等を見、目を楽しませる事もできるだろう。
 しかし今はひっそりと静まり返った深夜。
 草花は闇に溶け込み、夜空に弱々しく浮かぶ月ではそれらを照らすにはあまりにも足りない。
 耳に痛い静寂。肌を突き刺す冷気。
 粛々とした中、ただ一人、この闇の中、かすかに色づく月を見上げている。
 今宵は三日月。
 自分にとって、大して興味深い鑑賞対象とならないはずのそれは、ふとした拍子。豪奢な窓から見たその時。その色を宿した月を見るのは決して初めてではなかったけれど。それは赤く輝いていたことで自分の関心を引いた。
 朱金の月。
 弱々しく輝くその月。
 ガラス越しではなく直接見ようと、この庭園に出て。
 ただ眺めながら、ああ、と思う。
 ああ、まるで。
 まるで、自分。
 自分と、この帝国を表しているようだ、と。
 赤月帝国。
 北のハルモニア程ではないものの、それでも決して短くはない年月、栄えた帝国。
 不老を背負いしこの自分が率いてきたこの帝国。
 栄え、富み、臣民が笑いながら暮らしていた。ずっとその光景を見てきていた。
 戦争のさなかであってすら、希望の消えぬこの絶対を謳われた、少なくともかつてはそう謳われていたこの帝国。
 今は。
 今は。
 曇った目。閉ざした心。歪んだ精神。
 自覚しながらも目を瞑り。
 理由を悟りながらも視線を逸らし。
 ただただ目の前の美しいものを見続けて。
 栄えた帝国。
 今は。
 手のひらから水が零れ落ちるかのように。
 弧を描いた満月が、やがて萎んでいくように。
 朱金の月。
 弱く輝く血の色の月。
 それは、悲しいくらにどうしようもなく、正鵠をついていて。
 庭園の中で立ち尽くし。
 ふと、背後に気配を感じる。
 とても静かな足音。
 聞きなれた、今の私を満たす音。
 「こちらにおられたのですね」
 冷たく優しい声。
 闇に浮かぶ白い顔。
 凍える強い瞳。うっすらと紅を引かれた口唇が赤い。
 愛しいその姿。
 「このようなところにおられては、身体が冷えてしまいます。さあ、戻りましょう、バルバロッサ様」
 いつのころか陛下ではなく、名前で呼ぶようになった美しい魔女。
 甘い、甘い、毒の声。
 そっとたおやかな手を私の胸に腕に滑らせて
 「ああ、やはり冷たくなってます。さあ」
 言葉だけは優しく、表面だけの笑顔を向けられれば。
 「ああ、戻ろう」
 私は頷くしかない。
 細い腰に手をまわし、ぱきり、と小さい音を立てて小枝を踏みながら部屋へと戻る。
 背後には、赤い月が弱く輝いているのだろう。
   











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