020.再会






 普段は喧騒としかいいようのない酒場は、肌に痛いほどの静寂に見舞われていた。
 人は、いつものように大勢いる。
 椅子には人が、テーブルには酒とつまみが。
 遠めから全体を一枚の絵として見るならば、それはいつもとなんら変わらない姿。
 しかし。
 近寄って見るのであれば、ただ一人を除いて、人々の表情には怯えと緊張が容易に見てとれるだろう。そして、人々の視線は、ある一点に集中していた。
 そこには、ここスレイ軍の中でも中心となる人物がいた。
 いつもの通り、いつもの席で酒盃を持っていた二人。元傭兵の砦のビクトールと、『青雷』の二つ名を取るフリック。
 ビクトールの顔は普段の豪気さは見る影もなく強張っており、口元が絶えずひくついている。フリックは二つ名の通り、その服のみならず、顔はおろか首までも真っ青となっていた。
 間違いなくスレイ軍有数の使い手である二人は全身に怯えと緊張、そして絶望と後悔、フリックだけは恨みも宿し、彫像と化したようにぴくりとも動かない。いや、動けない。
 そして、その二人に対峙するはやはり二人。
 いや、正確には一人、というべきなのだろう。
 二人のうち一人は、やはりスレイ軍でも有名なシーナ。尤も、彼の場合有名なのはその腕前やトラン大統領の息子、という立場よりも不屈のナンパ野郎として名を馳せているが。
 ともかく、そのシーナはやはり顔を強張らせ、今一人の後におどおどと所作なさげに立ちすくんでいる。どうやら、今一人の人物にここまで案内をさせられただけらしい。
 そして、その三人の出す極度の恐怖と、佇む、一人――その人物は、頭からすっぽりと白い布で覆っているため、男なのか女なのか、若いのか老いているのか、全く分からない。ただ、その人物からは異常なほどの気配、殺気でも敵意でもない。ただの、しかし無視できようはずもない気配とに圧倒され、他の客も、主人たるレオナも、誰も動く事が出来なかった。
 息の詰まるほどの寒冷とした空気。
 ごくりと、誰かの喉がなった。
 酷く静かな空間に、その音はよく響いた。
 そして、その音を合図としたように、白い人物が、一歩、足を踏み出した。思わず、かだん、と椅子を倒して立ち上がるビクトールとフリック。
 「あ……」
 何かをいいかけたビクトールの言葉が止まる。
 すっと、音もなく伸ばされた人物の布に包まれた手がビクトールの胸に触れた。
 その動きで、その肩から不自然に細長い棒のようなものが僅かに突き出たが、それに気づいたのはひい、と押し殺した悲鳴をあげるビクトールとフリック、後にいるシーナだけ。
 その人物は、ただ無言でビクトールの身体を、まるで異常がないかどうか診断するように撫でていく。一通り調べ上げ、気がすんだのか、立ち上がったまま目を見開いて動かないフリックに近寄り、同じ様に撫でていく。
 そして
 「……二人とも、元気そうでなによりね……」
 若干くぐもってはいたが、綺麗な高い声で、その人物が囁いた。
 その声に宿るのは、狂気じみた歓喜。そして、それ以外のなにか。
 その呟きに、涙目になってきたビクトールが口を開く
 「お、おう、お前も元気そうで……」
 哀れなほど震えたその声は、やはり最後まで言い切ることなく、尻すぼみになる。
 それは、彼以外には見えぬよう計算された布の動きで、その人物の、輝きを帯びながらも深淵なる黒い瞳に見据えられたからである。
 「ねえ、わたくしがわざわざこんな布を被ったきた意を、汲んではくれないの?」
 そう囁かれ、正体を隠しているんだから余計な事は言うな、と言われたビクトールの身体がびくりと震える。
 「あ、す、すまな」
 やはり最後まで言わせず、人物が口を開く。
 「……そんなに驚かなくても……何もしないわ……この布は、白いから。今は、二人が元気なのを確認できただけで、満足ですから……では、また……」
 そう優しく告げると、そのままきびすを返そうとし、思いとどまり、カウンターにいるレオナの方を向く。
 「ご主人、ですよね」
 「あ、ああ。そうだよ」
 突然話しかけられ、内心たじろぎながら、女主人の貫禄でなんとかまともに頷く。
 「お邪魔して、申し訳ありませんでした」
 そういって会釈する。その瞬間、艶やかで柔らかな茶色の髪が一房布の間から零れる。
 さっと素早く布の奥へと戻しながらそっとカウンターの上にちゃりん、と何かを置く。小さな袋に入ったそれは、音からして金貨だろうか。
 そして、今度は酒場全体に顔を向けると
 「皆様も、お邪魔して申し訳ありませんでした。お詫びに、今宵の皆様の分は、お支払い致します」
 その言葉に、とりあえずタダ酒ということは完全に理解した客がわあっと歓声をあげる。
 その様子に一つ頷き、またレオナの方へ身体を向け
 「足りない分は、ビクトールとフリックが快く払ってくれるそうです」
 「ああ、分かったよ」
 あっさり頷くレオナ。
 聞き耳をたてていた当の二人の顔が更に引きつる。
 が、そんな二人の様子には一切構わず、その白い人物はこれで用が完全に終わったとばかりに入るときと同様、音もなく人物は酒場の入り口を潜っていった。
 


 「……なあ、ビクトール」
 気配が完全に去るのを待って、おそるおそるフリックが口を開く。
 酒場の喧騒も、謎の女性――大部分はそう思った――の最後の粋な計らいで戻っていた。
 「ああ」
 生気を抜き取られたような声で返事をするビクトール。
 「あれ……」
 「ああ、た」
 「おおっと!」
 言いかけたところで、わざとらしく叫んだシーナがビクトールの背中をどつく。
 「ってぇ! おい!」
 文句を言うと、シーナは恐ろしげに顔をしかめ、
 「……助けてやったと思うんだけど」
 言われ、はっとビクトールも気づく。今、思わず先程の人物の名前を言おうとしたが、皆酒を飲みながらも、事情を知りたい野次馬根性でこちらに聞き耳をたてている中、うっかり漏らそうものなら……考えたくもなかった。
 「お、おう、悪いな」
 「ん。じゃあオレもう行くわ」
 言って手を振りながらもう関わりたくないとばかりに手を振り去っていくシーナ。
 それを見送り、
 「……まだ飲むか……?」
 フリックの静かな問いに
 「いや、もうそんな気分じゃないが……今うかうか出て行ったら、また鉢合わせしそうだしな」
 「……そうだな……」
 代金についてはツケてくれるだろうが、今出て行くのは無謀だ。
 二人には確信出来る。
 先程表れた人物……女性のフリをしていたようだが、二人に見せた強い漆黒の瞳の持ち主。タクト・、マクドール。
 あれは間違いなく怒っていた。
 もう、本気で怒り狂っている。
 原因は恐らく、三年前の最後の戦いの折、生死不明となったまま一切連絡をしなかったことだろう。
 尤も、フリックの方は自分が連絡しておく、というビクトールの言葉を鵜呑みにしていたのだが。その連絡をすっかり忘れていたことを知ったのは、ほんの数ヶ月前。おまけにその後一気に戦火が広がり、改めて連絡する時間も、またその必要もなくなったのだが。
 ああ、畜生ビクトールのやつめ。
 首を絞めたい衝動に駆られながら、フリックは思い出す。
 三年前、共に戦った解放軍盟主、彼が本気で怒った時、そこは悪鬼はこびる地獄ですら、優しい聖母の腕の中じゃないかと思えてくるような素敵空間が誕生する。先程この酒場でまあ何もしなかったのは、言動から察するに、借り物らしい白い布を汚さないのと、自分の正体がバレたくなかっただけで、決して今はもう部下でない二人にお仕置きをするのを諦めた、ということではないだろう。
 「……ビクトール」
 暗い暗い声でフリックが言う。
 「なんだ」
 「今の見世物、どんな噂になると思う……?」
 問われ、少し考えてみて、ビクトールもまた、背後に人魂でも浮かびそうな声で
 「……よくて、借金とか何かで俺らが追われてるとか、謎の暗殺者とか。ありそうに酷い所で俺とお前がどこぞの女を食い物にした、とか……」
 「…………そうか」
 ふふ、と生気の抜けた顔でフリックが微笑む。
 「おい、ビクトール」
 「ああ」
 「飲むぞ」
 「おい」
 不思議そうに見ると、フリックは弱々しい笑顔を浮かべ
 「次、いつ飲めるのか分からんからな……」
 「………………飲むか」
 男達は見つめあい、弱々しくグラスを合わせた。


 
 後日。
 「あーいたいた。フリック、ビクトールー!」
 「おお、シュウユウ」
 「めっずらしい。二人が訓練なんて」
 「ああ、ちょっとな」
 「ふうん? まあいいや。それより」
 「なんだ?」
 「タックトー!」
 「!」
 「!」
 「やあ、久しぶりですね、二人とも。元気だった?」
 「あ、ああ」
 「お前こそ、元気そう……だな」
 「ええ。おかげ様で。 ……生きてたんですね。良かった。心配したんですよ」
 「あ、ああ、悪い」
 「お、オレはこいつが連絡するって……!」
 「あ、おいフリック!」
 「本当のことだろうが!」
 「ふふふ。二人とも変わらないね。じゃあ、僕はこれで。訓練の邪魔をしてごめんね」
 「あ? あ、ああ」
 「いや……」
 「ふふ。じゃ、また……そうそう、僕、シュウユウの個人的な戦闘のお手伝いすることにしたから。また君たちと一緒に戦うかも。その時は、宜しく」
 「そ、そうなのか」
 「ええ。では」
 「じゃーなー。頑張れよー。あ、あとなんかあんま変な噂立てんなよ軍の中枢ー」
 「……」
 「……」
 「……やっぱ噂に……」
 「事実無根だ。直ぐ消える……それより……」
 「……次の戦闘で、ってことか……」
 「しかもシュウユウ公認なのか……」
 


 しかし、予想に反して次の戦闘でも、その次の戦闘でも、毎度タクトが居て、微笑みながら彼等を見るだけで何事もなく過ぎ、二人の豪傑は密かに怯える暮らしを続けたという。そして、ささいな不名誉な噂と、その恐怖こそがお仕置き、ということに彼らが気づくのはしばらく後のこと。
 











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