思ひ出ほろほろ




 「はっ」
 森の中、高く、鋭い声が響く。
 必殺の気合と共に突き出された棍は、途中で軌道を変え、避けようとした魔物の脇へと回り、その後頭部を強打する。
 鈍い音と共によろめいた魔物の頭上で、勢いを殺さないまま棍が再び垂直に落とされる。
 魔物は、悲鳴さえあげる間もなく倒れ伏した。
 棍の主は、油断することなく、相手が動く事がないか確認し、安全を確信した後、ようやく張り詰めていた緊張を吐息ごと捨て、くるりと振り返った。
 「父上、終わりました!」
 きらきらと木漏れ日を浴び、顔に不思議な陰影を浮かばせたまだ幼い少年は、まるで太陽の如く微笑んだ。


 「おはよう、イル」
 差し込む日差しも眩しい早朝、精悍な顔を崩して、ファレナ国女王アルシュタートの夫、女王騎士長たるフェリドはドアを開け快活に笑った。
 視線の先には、期待と興奮に白い頬を紅潮させた彼の長男、王位継承権こそないものの、紛れもなくこの国で王子殿下と呼ばれる子供、イルファランス。そして、実質彼の専属護衛たる女王騎士見習いのリオン。
 「おはようございます、父上」
 母親譲りの、というよりは母親にそっくりの幼い顔を綻ばせ、丁寧に頭を下げるイルファランス。
 「おはようございます、フェリド様」
 イルファランスよりは若干年上なものの、やはりこちらもまだまだ幼い子供と呼ぶしかないリオンもまた、生真面目に挨拶をする。
 「おはよう、リオン」
 同じ笑顔で応えるフェリド。
 「それにしてもお前ら、予定より二時間も早いぞ。普段ならまだ寝ている時間だろうに、そんなに待ちきれなかったのか?」
 「ご、ごめんなさい……」
 「ほら王子、だからあまり早く行くとご迷惑だって言ったじゃないですか。 ……申し訳ありませんフェリド様、私がお止めしなきゃいけなかったのに……」
 からかうようなフェリドの言葉に、たちまち萎縮する二人。
 「こらこら、そんな顔するんじゃない二人とも。誰も悪いとは言ってないだろうが。はっはっは、いやむしろそれくらい元気でやる気があっていてくれた方が俺も楽しいというものだ! さて、それじゃあその様子だと準備は出来ているんだな?」
 『はい!』
 「よし、じゃあ母さんに挨拶して行くか」
 「はい!」
 三人連れ立って広い廊下を歩き出す。
 「しかし、大分前から扉の前で待っていたようだが……一体何時に起きたんだ? 寝れてはいるようだが」
 ぐいと少々冷たくなったイルファランスの手を取りながら、二人並んで扉の前で膝をかかえて座って待っていた様子を思い出し、フェリドが苦笑する。
 「ええと……日の出を見ました」
 「おいおい。リオンもか?」
 「……はい」
 恥ずかしそうに頷くリオン。いくら子供とは言え普段は寝室は別々なのだが、どうやら昨日は一緒に寝たのだろうか。
 などとフェリドが思っていると
 「あの、でもリオンは僕が起きちゃったから、それで起こしちゃったんです。となりの部屋だから、大丈夫だって思ったんだけど……」
 「ほお、リオン。隣の部屋の気配の変化に気付けるようになったんだな。偉いぞ」
 「あ、いえ、王子ですし……それに、王子ったら部屋の中で三節棍の練習してたんですよ」
 「あー! リオンそれは内緒にしてって!」
 「あっ! も、申し訳ありません王子!」
 「はははははは! まあ怒るなイル。見つかるお前が悪い」
 「フェリド様……そこは部屋の中でって……いえ、いいです……」
 「はっはっは、しかしお前ら、メシは食べたのか?」
 流石にこの時間は厨房に人はいないと思うのだが。
 ふと疑問に思い尋ねると、何故か二人は顔を見合わせる。イルファランスは笑顔。リオンはどこか複雑そうな顔だ。
 「はい、いただきました……」
 「なんだ? 侍女でも起こしたのか? 可哀想に」
 「いいえ、そんなことは……王子がご自分で厨房に行ってしまって」
 「僕のほうが上手くサンドイッチを作れましたよ」
 「王子!」
 真っ赤になって叫ぶリオン。イルファランスは悪戯っぽく瞳をきらめかせながら
 「でも、リオンは僕の危ない手つきを心配そうに見てばっかりだったからだと思います」
 「危ない手つきとは、サンドイッチを作ったんだろう?」
 幼いながら、さらりとリオンをフォローする息子に目を細めながら更に尋ねると
 「完熟トマトって柔らかくて」
 「成る程。俺は丸かじりしかしたことないからな」
 納得して頷くと、イルファランスは小首を傾げながらおずおずと
 「あの……それで、父上」
 「ん? なんだ、イル」
 「父上は、ご飯、まだですよね」
 「まあ、そうだな」
 首を上下して肯定。
 そもそも、ドアの前で張り付いていた子供たちにも分かりきっていることだろう。
 これからの展開を予期しながら視線で先を促すと
 「あの、僕、父上の分も作ったんです。基本的にサンドイッチだから、そんなに不味くないと思うんですけど……よかったら」
 「王子、凄く頑張ったんですよ」
 「そうか! それはありがたい! どこにあるんだ?」
 殊更大げさに破顔してみせると、やや不安そうだったイルファランスの表情が緩くなった。
 「厨房に。かけた布の上に、食べないで下さいって書き置きをしたので食べられてないと思います」
 確かに、先代の女王の時代と比べ随分気安くなった兵士達やコック達も、王子が作った物をそうと知って食べる不届き者はいないだろう。
 「そうか、なら安心だな。母さんに挨拶した帰りに……そうか、母さんの分も作ったのか。優しいな、イルは」
 帰りに取りに行こう、と言おうとして困ったように曇る顔を見てフェリドが悟る。
 「じゃあリムの分も作ったんだな」
 もはや疑問系ですらなくそう確認すると、幼い王子の顔に満面の笑みが広がる。
 「そうか。まあリムの分は誰かに届けてもらうとして、じゃあ母さんの分は持っていこう」
 「はい……食べてくれるでしょうか」
 「何馬鹿な事言っている。食べないわけがないだろうが。なあ、リオン?」
 「そうですよ王子。きっと陛下もお喜びになります」
 「おお、これはフェリド様、王子殿下、リオン殿。おはようございます」
 笑顔になったかと思えばまた不安をにじませるイルファランスに、フェリドとリオンが苦笑しながら励ましていると、重層な声が後からかけられた。
 振り返ると、女王騎士の中で最も古参の騎士、ガレオンがいかめつらしい顔で分かる者だけ分かる笑みを浮かべる。
 「相変らず早いな。ガレオン」
 「おはよう、ガレオン」
 「おはようございます、ガレオン様」
 「年ですからな。どうしても早くなってしまいます」
 「ははははは、頼むからその内夜明け前に詰め所に入る、なんてことは止めてくれよ? 若い俺まで起こされる」
 女王騎士長たるフェリドの寝室は、女王騎士の詰め所の奥、というか直結していることをもじっての冗談だが。
 否定されるどころかあんまりと言えばあんまりな台詞にもガレオンは気にすることなく深い声で笑う。
 「いやいや、それではその際は日の出までは我慢することに致しましょう。しかしフェリド様方こそお早い。殿下はよほどお楽しみにされていたようですな」
 「ああ、リオンと一緒にドアの前で座って待っていた」
 「父上! そんなこと言わなくたって」
 「それはそれは。いえしかし、無理もありませんな。初めて三節棍を使っての狩となれば、それは王子でなくとも緊張されるでしょう」
 子供っぽい――といっても実際に子供なのだが――行動をバラされて赤くなるイルファランスにフォローだけではではない声音でガレオンがそう言うと
 「まあそうだな。しかしイル、そんなしょっちゅう赤くなってて疲れないか?」
 「父上ッ!」
 「ははは、ますます赤くなってどうする」
 ついに耳まで朱に染めたイルファランスの頭を豪快にかき混ぜながらフェリドが笑う。
 「陛下、その辺りで。殿下の体力が城を出る前に尽きてしまいます」
 目を細めながらやんわりとガレオンに言われ、ふむ、と一つ頷いてどことなく残念そうに手を放すフェリド。
 「流石にそこまで柔ではないと思うが……まあ、そうだな。じゃあ母さんの所へ行くか。 ――おお、そうだガレオン。俺は今日イルにメシを作ってもらったんだぞ! 羨ましいだろう!」
 「なんと。それは確かにお羨ましい限りですな」
 「あの、でもただのサンドイッチで……」
 「それはもう天上の味だったぞ!」
 「ってフェリド様、まだご覧になってもいない……」
 いささか呆れたようなリオンの突っ込みに
 「なに。食べずとも俺のイルが作ったとなれば味は良いに決まっているだろう」
 自信たっぷりに胸を張る。
 当のイルファランスはなんと言っていいものか、はにかんだ様子だったが、若干恥ずかしそうにガレオンを見上げると
 「ええと、良かったら今度ガレオンも食べてくれる?」
 そこまで美味しくはないと思うけど。
 にっこりと微笑みながら言われ、ガレオンの顔がますます、しかし分かりづらく緩む。
 「おお! 無論です殿下! 殿下お手製の料理をいただけるなど、光栄と言わずなんと申しましょうか!」
 「料理って言ってもやっぱりサンドイッチだけど……」
 「とんでもございません! いやはや、殿下はお優しいですな。 ……ところでそれはそうと陛下、殿下。すっかり話しこんでおりますが、お時間は宜しいのですかな?」
 「うむ、まあ時間なら2時間くらい余裕があると言えばあるのだが。そうだな、イルも早く行きたがっていたし、ではそろそろ向うとしよう。留守中、頼んだぞ、ガレオン」
 今更、という気がしなくもないガレオンの言葉に、イルファランスに目をやりながらフェリドが答える。
 「はい、お任せを。 ……陛下について行くことが適わなくなりました以上、お留守をしっかり守らせていただきますぞ」
 早くも歩き始めたフェリドに、胸に手を当て、恭しく返答するガレオン。う、とフェリドが呻いたのに口角があがる。
 「あ、ああ。ではな」
 「それでは失礼します」
 「行ってくるね」
 肩越しに苦笑した顔を見せつつ、フェリドが手をあげ、リオンが丁寧に頭を下げ、イルファランスが礼儀正しく一礼をしたあと手を振る。
 彼らの姿が見えなくなるまでガレオンは廊下に佇んでいた。


 「父上、最後にガレオンが言ったのはどういう意味ですか?」
 サンドイッチの皿を手に、廊下をかつかつと歩きながらイルファランスが訪ねる。
 「んー? なんのことだー?」
 あからさまにとぼけた顔をするフェリド。
 「ですから、父上について行けなくなった、という」
 気付かず、しっかり説明するイルファランス。他意がないだけに、誤魔化しようがないかとフェリドが白状する。
 「あー。いやな、今日のお前の狩だが、行くのは俺たち三人だけだろ? 普通はな、他に女王騎士が一人か二人、護衛につくものなのだ。それで、まあガレオンが適当だろう、ということになっていたんだがな」
 「はい」
 「そのなんだ? 折角の親子水入らずだし、堅苦しいのは厭だろう? 俺一人で充分だと主張したんだ。 ……まあ、その所為で近場だけしかうろつけなくなったがな」
 今度はフェリドが照れたかのように笑う。
 しかし、そこに不安そうな表情のリオンに気付き、にやりとした表情に変える。
 「なんだリオン。お前も俺一人じゃ不安なのか?」
 そうではない、と確信しきった問いだったが、それにリオンは慌てて首を振りながら
 「いっいえ、とんでもありません! ただ、その、でしたら私もお邪魔ではないかと……」
 予想通り、親子水入らず、という言葉に気後れしているらしい。やれやれ、と内心思いながらフェリドは、はっはっは、と笑い飛ばしながら
 「はっはっは、何を言っている。お前も俺の娘みたいなものだと言っているだろう! なあイル?」
 「うん、そうだよリオン!」
 イルファランスもきっぱり頷く。笑顔の親子に、目をうるませたリオンが口をひらいたことろで
 「まあ、弟よりサンドイッチを作るのが下手な姉、というのも微妙だがな!」
 「フェ、フェリド様!」
 再びぶり返され、顔が赤らむのを感じる。
 「父上、いつまでもそんな……それに、結構多いと思いますよ、そういう姉弟」
 「お、王子……」
 あまりフォローになっていないフォローにリオンががっくりと肩を落とす。
 「まあそう肩を落とすな! ほらもう着くぞ!」
 会話の間にも、すでに謁見の間を踏破していた。
 ばし、と背中を叩かれ、慌てて背筋を伸ばす。女王アルシュタートは優しいが、それでも女王で、自分は女王騎士見習いでしかない。 ……それを言えば、今隣にいるのもその夫と息子だが、やはりそれでもこの国の頂点たる女王とは気安さが違う。
 そんな思いが分かりやすくありありと書かれたリオンの緊張顔に、フェリドはまた笑いそうになったが今回は我慢した。
 代わりに、今度は頭をぽんぽんと撫でてやってから、すでに姿の見えている扉の前で待機している女王付きの侍女に手をあげて挨拶する。
 軽くお辞儀をして挨拶しながら、ふと気付いたイルファランスが口にする。
 「そういえば……母上はもう起きていらっしゃるのでしょうか?」
 何度も言うが、今は朝。それも早朝だ。あ、と声をあげるリオンに、フェリドも頷きながら
 「まあ、寝ているか、寝起きのどちらかだろうな。」
 当然のように言われたその言葉に、焦りを見せる子供たちにフェリドは笑顔で
 「大丈夫だ、気にするな」
 事も無げに言った。


 「な、大丈夫だったろう?」
 女王の部屋を出、侍女に挨拶をしてからフェリドが自慢げに言う。
 まだ良かったと言うべきか、アルシュタートは起きたばかりのようで、丁度着替える所だった。
 寝巻きとはいえ、威厳と豪奢さを損なわない女王は、着替えを中断し、上着を羽織っただけで快く中に招いてくれた。リオンは遠慮しようとしたのだが、「構いませんよ、御出でなさいな」というアルシュタートの言葉と、フェリドの実力行使で、やはり滅多に入ることはない女王の私室の、更にまずお目にかかれない姿にひたすら恐縮していた。
 「それにイル、言ったとおりアルも喜んでいただろう?」
 イルファランスにおずおずとサンドイッチを差し出され、アルシュタートは驚きながらも本当に嬉そうに微笑んでくれた。
 来る前に先に食べたフェリドが、また天上の味だったと大げさに言うのに対し、くすくすとそれは楽しみですね、と笑い声を上げていたのが耳に残っている。
 そして、予定より早すぎる訪問の原因をしっかりとばらされ、イルファランスが赤くなったところで、ファレナ特有の祝福を受け、退出し、あとはいよいよ狩に出るだけとなったのだった。
 朝日を受け、きらきらと水が輝く街を歩きながら、いちいち父の言葉に頷いていたイルファランスが、再び興奮してきたのだろう、堪えきれなくなったように尋ねる。
 「それで、どんな魔物を退治するんですか?」
 「……もさもさとかか?」



 倒れ伏したマッドドックに背を向け笑うイルファランス。
 「父上、終わりました!」
 「ああ、よくやったな」
 「王子、お見事でした!」
 誇らしげな笑顔を向けるイルファランスに、いつでも助けられるよう注意しながら背後で見守っていたフェリドとリオンもまた微笑む。
 「ちゃんと三節棍の使い方が分かっているようだな」
 コの字型になっていた三節棍を素早く腰のショルダーに収納する息子の頭をかき混ぜながら褒めると、いつもは微妙に嫌がるイルファランスは目を輝かせた。
 「ありがとうございます!」
 「よし、直に当たってみないことには今一不安だったが、これなら問題ないだろう。もっと奥の方にいってみるか」
 「はい!」
 武勇で知られた父に評価され、勢いよく頷くイルファランス。
 「それと王子、最初がもさもさじゃなくて良かったですね」
 殆ど雑魚の代名詞として使われる魔物の名が挙がったときのイルファランスの表情を思い出し、くすくす笑うリオン。
 「まあ……ね。もさもさも、普通の人には充分脅威って分かってはいるんだけど。まだマッドドックで良かったよ」
 苦笑しながら答えるイルファランス。自分の実力ではまだ仕方ないことと分かってはいるのだが、折角国宝の三節棍を扱える権利を得たのに、それで仕留めた最初の魔物がもさもさというのはちょっとあまり嬉しくはない。
 とはいえ、マッドドックも実はもさもさより少々強い程度なのだが、名前と見た目がまず違う。
 どちらかといえばもさもさが多いこの森で、最初にマッドドックの方に会えたことを幸運に思いながら、イルファランスはやおらフェリドの方に振り向くと
 「あの……僕も、父上みたいに強くなれますか?」
 その台詞を言うのは勇気が必要だったのだろう。まず躊躇したようだが、決意したように頬を紅潮させつつ突然尋ねてきたイルファランスに、フェリドも一瞬驚いたようだが、すぐに面白がるような笑顔になり
 「さて、それはイルの頑張り次第だな。親の欲目かもしれんが、俺は見込みはあると思うぞ」
 「頑張って下さいね、王子! でも、フェリド様ぐらい強くなられては、私の護衛なんて必要なくなっちゃいますね」
 「そんなことないよ!」
 「そうだぞリオン。まあ、いずれにせよイルがそこまで行くにはまだ時間が必要だろうから、しっかり守ってやってくれ」
 「はい!」
 「イルも、リオンに負けるなよ」
 「はい、父上!」
 「よし、二人ともいい子だ! さあ再開するぞ!」
 『はい!』



 「うん、へばってないな。二人ともちゃんと稽古をしているようだな」
 昼過ぎになり。
 そろそろ戻って遅い昼食をとろう、と森を出て。
 フェリドは当然だが、リオンもイルファランスも息が多少弾んでいるくらいで、まだまだ元気なのを確認し、満足そうに笑う。
 「あ、ありがとうございます!」
 「リオンは訓練を休んだことないよね。僕も決められた武術訓練以外にも、リオンに付き合ったり、リオンに相手してもらったりしてますし」
 「そうか、偉いぞ二人とも。その調子で頑張れよ」
 「はい!」
 「はい、父上!」
 朝から、「良い子のお返事例」という札でもつけたくなるような二人である。
 「ああ、今日獲得したポッチは二人で分けていいからな」
 「本当ですか!? やったねリオン!」
 「そ、そうですね、王子!」
 これまでに倒したのはマッドドックが14匹、もさもさが21匹。マッドドックが一匹200ポッチ、もさもさが70ポッチ。合計4270ポッチ。一人2135ポッチ。
 いくら王子とはいえ、無闇に欲しいものを買ってもらえるわけでもなければ、際限なくお小遣いをもらえるわけではない。いやむしろ、王子という立場だからこそ、そういったことは厳しく躾けられているイルファランスは、正直本当に自分で自由に使えるお小遣いは一般の子供とそう変わりない。もしイルファランスが望めば、町の人たちはタダ同然でくれたりすることもあるのかもしれないが、そういったことは絶対にしてはいけないと言い含められているイルファランスにとって、この金額は大金も大金だった。
 リオンも、女王騎士見習いとして多少の賃金を得てはいるが、やはりこの臨時収入は大きいらしく、イルファランスほどあからさまではないが嬉しそうである。
 早速、じゃあリムに何をお土産に買おうか、等と相談を始めた二人に、フェリドがそういえば、と話しかける。
 「イル」
 「はい、父上?」
 呼ばれ、見上げるとフェリドがどことなく照れた様に笑いながら
 「イルは、武術もそうだが、学術、礼儀作法も頑張っているな?」
 「え、と。そのつもりですが……」
 「はい、王子は頑張ってます。フェリド様」
 一体なんだろう。ましてや礼儀作法?
 突然の質問に困惑するイルファランス。リオンも不思議そうだが、本人よりもしっかりと請け負う。
 「そうか、そうだよな。うん、じゃあなイル」
 「はい、父上」
 「もう、父上、と呼ばなくていいぞ」
 「………………はい?」
 にっこりと告げられた言葉の意味が分からず、ますます困惑するイルファランス。横目で見ると、リオンも珍妙な顔をしている。
 「大体、父上、という呼び方は前々から堅苦しくて好きじゃなかったんだ。それを周りの五月蝿いのが形式がなんだどうだと騒ぎ立ててな。確かにイルがもっと小さい頃は、礼儀作法とかは小さい内にしっかりと身につけさせるのが重要、等と俺を指差して言われたりもして、まあその時は折れたのだがな。親子なのだから、せめて父さん、でいいではないか。もうイルもしっかりと礼儀は覚えたわけだし、そうは思わんか? どうだ?」
 「え、ええと……」
 早口の長台詞に、意味を良く考えようと首を傾げるイルファランス。
 そして
 「つまり、父上……父さんは、それが言いたくて今回、わざわざ三人で来たのですか?」
 「……………………イルは小さいのに賢いなあ」
 伝わらなくていいことまでしっかり伝わり、苦笑するしかないフェリド。
 「フェリド様……」
 明らかに笑いを堪えているリオン。完全に、子供に子供っぽいと思われている。
 「あー。えー。なんだ、ともかく、そういうことだ。分かったな、イル」
 「はい、父さん。母上は……」
 「俺だけ父さんで、アルに母上じゃ、母さんが傷つくぞ」
 「はい、わかりました」
 イルもどことなく嬉しそうに笑いながら頷く。
 「ところで、母さんは父さんがそう言うって知ってたんですか?」
 「いや、まあ予想しているだろうがな」
 きっと、帰った時「ただいま戻りました、母さん」とイルファランスが言った瞬間に浮かべるだろう微笑を脳裏に浮かべてぽりぽりと頭をかくフェリド。
 「ところでイル、リオン。イルには丁度こういう機会があったわけだが、リムにはいつ言えばいいと思う?」
 とりあえず開き直ることにしたのだろう。うきうきと、はりきって相談しだす大人に、子供たちは顔を見合わせて
 「機会……王子が言い出せば、姫様も真似なさる気がしますけど……」
 「でもリムは時期女王だからね……どうなんだろう」
 「ああ、そうですよね」
 「父さん、分かりません」
 「うーん……まあ、根付いてしまえばこちらのものだからな。イル、とりあえずリムの前で父さん父さんと言っておいてくれ」
 「はい」
 「よおし。さて、それじゃそろそろメシでも食うか。いい加減腹も減ったしな」
 いつの間にかすっかり立ち止まって話しこんでいた。お忍びの為、着込んでいたマントについているフードを引きつつ、目についた定食屋を指差す。
 「はい、フェリド様」
 「お腹すいたね、リオン」
 朝食は早朝。今は昼食にはやや遅い時間。
 森で戦闘をしていた時は気付かなかったが、確かにお腹がすいていたので、張り切って美味しそうな匂いのする扉を潜って行った。



 「……というのが、僕が父さんを父さん、と呼ぶようになった日の話だよ」
 夜、そろそろ寝ようかという人も増えてきた頃、イルファランスはそう言って微笑んだ。
 「そうですか。もう少し話をまとめられる気もしますが、分かりました」
 イルファランスの対角線上に座った女性がゆったりと頷く。
 厳しい批評に苦笑しながらイルファランスは机に置かれたお茶を含み
 「厳しいねレティ。これでもいきなり話をしろ、と言われて頑張ったんだよ?」
 ねぇリオン? と、傍らに控えるリオンに目を向けると、リオンも懐かしむように笑いながら
 「王子は昔から、長話しが苦手でしたね」
 「しゃべるのは、周りの人たちがやってくれたからね。僕は主に聞いている方だったから」
 だから少しは甘くして、と微笑みかけられ、レティ、と呼ばれたこの部屋の主たる女性、ルクレティアは困ったように首を傾げる。実年齢に対し、どこか幼いその仕草は、しかし彼女には似合っていた。
 「そうですねぇ……まあ、確かにサイアリーズ様やカイルさんに囲まれていては、王子がそうなるような気もしますけど。でも、これからはスピーチ等もしてもらいますから、やっぱり慣れていただかないと」
 許容されたのか容赦がないのか微妙な表現に、流石はレティだね、とイルファランスは呟きつつ
 「前もって言われたスピーチなら出来るんだけど。今みたいな突然なのが苦手なんだよ」
 「突然のスピーチもあると思いますよ」
 更に言い訳を重ねてみるがあっさりといなされ、降参の印に手をあげる。
 「分かった、頑張るよ」
 「はい、頑張って下さいな」
 うふふふ、と扇を広げて満足そうに笑うルクレティア。
 つられたように笑うイルファランスと、それにつられて微笑むリオン。
 ゴルディン軍に占領された国を奪還する為に立ち上がったイルファランス達が本拠地とする、シンダルの遺跡、フロイデ城。
 そこでは、夜毎、軍主と軍師による会談が行われていた。
 会談と言っても、大概はお茶を飲みながら戦術・戦略についてルクレティアからレクチャーを受けたり、どこぞの国の逸話を聞いたりと、ちょっと難しい寝物語のような感じだったのだが、今回はいつものように部屋に入って座るなり「たまには、王子が話してください」、と言われたのだった。
 「でも、初めてでしたしね。まあ、あまり気になさらず。その内慣れて来るものですし」
 ふぁさ、と扇ぐよりは弧を描くように扇を動かし、扉へと固定する。
 「さて。すっかり遅くなってしまいましたね。明日も忙しいですし、今日はもうお休み下さいな」
 柔らかく、直球で退出を促され、しかし主であるはずの少年はなんら気にすることなくあっさり頷き立ち上がる。勿論護衛たるリオンも一緒に。
 「うん、それじゃあお休み、レティ」
 「おやすみなさい、ルクレティアさん」
 「はい、お休みなさい、王子、リオンさん。良い夢を」
 定型文通りの会話を交わし、軽い会釈をして二人はすぐ傍の部屋に戻っていった。
 すると、入れ違いで、軍服を纏った長身の女性が背筋を伸ばして入ってくる。
 「失礼します! ルクレティア様! 報告書をお持ちしました」
 「お疲れ様です、レレイさん。そこに置いて下さい」
 「はい……ルクレティア様、それは?」
 言われるままに机に報告書を置き、ルクレティアがなにやら書き込んでいる書面に気付く。
 視線を受け、顔を上げたルクレティアが悪戯が見つかった子供のような表情で微笑む。
 「王子には内緒ですよ?」
 ルクレティアが書いていた書類。それにはまず『イルファランス王子、育成計画』と書かれており

 『スピーチ …… △。要練習』

 と書き込まれたばかりのインクが証明に反射し、輝いていた。
 「………………ル、ルクレティア様…………」
 なんと反応してよいものか、まがりなりにも主人に対してあんまりな題名であり、これは、と困惑するレレイに、ルクレティアはくすくす笑いながら
 「これから王子には、あらゆる局面を乗り切っていただきますから。必要なことなんですよ。それに、スピーチは苦手みたいですけど、他はほとんど○と◎ばかりでしょう? いくら英才教育を受けているとはいえ、凄いですよねぇ、王子って?」
 全く悪びれず、むしろ平然と同意を求められ。
 「……そうですね」
 結局、ルクレティアに心酔しているレレイもまた頷くしかなかった。



 翌日、ルクレティアに笑顔で『上手なスピーチの仕方』、『話のまとめ方5か条』等といった本を渡されたイルファランスもまた、苦笑するしかなかったとか。  



                                          END





 キリ番500、『思ひ出ほろほろ』幻水のメインキャラで子供時代の小話、でした。
 マヨさん、素敵なリクエスト、ありがとうございました!
 ……ありがとうございました!
 む、むしろ大変お待たせしてしまって申し訳ございませんでした。
 マヨさんのお優しさに甘えてしまって、それはもう長々と……切腹モノですよね。
 このままこちらだけ捧げさせていただくのはあまりに心苦しいので、おまけに1〜4のSSを付けさせていただきます。いっそ迷惑かとも存じますが、このようなもので宜しければどうぞお納め下さいませ。




 1.タクト・テッド

 くいくい。
 「ねえ、遊ばない?」
 「……」
 くいくい。
 「遊ぼうよ」
 「……」
 くい。
 「遊んで下さい」
 「……遊ばない」
 「なんで?」
 「俺に構うな」
 「でも、なんで?」
 「なんででもだ」
 「でも、なんで? じゃあなんで毎日会いに来てくれるの?」
 「……お前の父さんに、テオさんには世話になったから」
 「父さんが、僕に毎日会ってって言ったの?」
 「……いいや」
 「僕、テッドと友達になりたいです」
 「……」
 「ねえ、遊んで?」
 「……悪い」
 「じゃあ、お話」
 「今も、話していると言えば話してるんだが」
 「もっと楽しいこと。テッドが好きな遊びはなに?」
 「結局遊びじゃないか」
 「だって遊びたいんだもん」
 「……罠」
 「え?」
 「森に、罠をかけたんだ。兎とか、猪とか。見に行かなきゃいけない」
 「僕もいきます」
 「かかっていたら、生きている動物を殺すのを見ることになるぞ」
 「……うん、でも行く」
 「怖くないのか。見たことないんだろう、どうせ」
 「ない、けど、お肉は毎日食べてる。から、怖がっちゃだめです」
 「……」
 「それに」
 「……」
 「テッドと一緒に行きたい」
 「…………。グレミオさんに、言って来い。森は安全とは言い切れないから、許可がいる」
 「! 分かった。待ってて、先に言っちゃだめだよ!」
 「ああ、分かった」
 「すぐもどるからー!」
 がちゃ、ぱたぱたぱた。
 「………………………………何やってんだか、俺は……」   





 2.シュウユウ・ジョウイ・ナナミ

 ずきずき。ずきずき。
 「ったー」
 「大丈夫? シュウユウ」
 「うん、平気。ナナミには言うなよ」
 「え……でも」
 「ゲンカクじいちゃんにもないしょだかんな!」
 「……バレると思うよ」
 「転んだって言えばいいよ。転んだし」
 「ちがうよ、転ばされたんだよ」
 「あのね、ジョウイ。言わなきゃそんなの分かんないの! ナナミとじいちゃんに心配かけたいのかよ」
 「それは……でも、いいの?」
 「うん。いい。言ったらそりゃナナミがいつもみたいにやっつけてくれるだろうけど」
 「それじゃ、くやしい?」
 「うん。ジョウイだって……そのひざ」
 「…………バレてた?」
 「うん。でも、僕らに言わなかったろ」
 「うん……そうだね。あ、ナナミも気付いた?」
 「ううん。僕だけか、じいちゃんはわかんない」
 「……ねえ、今思ったんだけど、ひょっとして、そのケガ……」
 「ちがう」
 「まだ言ってない。やっぱり、僕のかたきうち?」
 「……どうせ、いっつもからまれるなら、こっちからいったって同じだろ」
 「シュウユウ……ありがとう」
 「うん。 ……もっと、強くなろうな」
 「そうだね。 ……師匠は、いつになったら型以外を教えてくれるのかな」
 「あー! シュウユウー! ジョウイー!」
 「あ、ナナミだ! 立って」
 「う、うん! いいなジョウイ! ないしょだぞ」
 「あ、あ! シュウユウどうしたの!? 血出てるよ!」
 「な、なんでもないよナナミ。だいじょうぶ」
 「だって痛そうだよ! またあの子達!? あいつらなの!? もぉーゆるせない! 待っててシュウユウ! 今おねえちゃんがかたきをとってあげるからね!」
 「わー! ちがうよナナミ!」
 「はなしてジョウイ!」
 「僕のせいなんだよナナミ!」
 「え? え? どういうこと? そうなのシュウユウ?」
 「え、ええと」
 「えっとね! 僕とシュウユウで走ってたんだけど、シュウユウが止まったのに僕が止まらなくて、それでぶつかってけがしたの!」
 「そ、そうなんだよナナミ。だからだいじょうぶだからおちついて!」
 「あ、そうなの? だめだよシュウユウ、ジョウイ、ちゃんと気をつけないと! こうやってケガしてあぶないんだからね! 歩ける? シュウユウ」
 「だからだいじょうぶだって」
 「ごめんねシュウユウ」
 「ジョウイは悪くないよ」
 「うん、だいじょうぶみたいだね! じゃあ早く道場に帰って手当てしなきゃ! はい!」
 「うん」
 「ジョウイもはい!」
 「え、僕も手つなぐの?」
 「いやなの?」
 「え!? う、ううん! はい!」
 「はい、二人ともいい子! じゃあじいちゃんが待ってるよ!」
 「そうなの?」
 「そうだよ! じいちゃんに言われて呼びに来たんだから!」
 「え、じゃあさっき飛び出そうとしたのは……」
 「もう! ジョウイは細かいこと気にしすぎなの! いいから行く!」
 「分かったよ」
 「じいちゃん、なんの用かな」
 「それがね、なんだか新しいこと教えてくれるんだって!」
 「え!」
 「ナナミ本当!?」
 「え? う、うん、そう言ってたよ」
 「ジョウイ!」
 「シュウユウ!」
 『頑張ろうね!』
 「え? ええ? 二人だけでなになに?」
 「ナナミも頑張ろうね!」
 「う、うん?」

 タイミングがいいようで、実は週に一回は交わされていた男の会話。  






 3.ルック、子セラ

 「もっとゆっくりと、大きくかき混ぜて」
 「こうですか? ルック様」
 「そう。ほら、ふんわりしてきただろ」
 「わあ! すごいですねルック様!」
 「空気で膨らませてやるんだ。 ――そう、上手いよ」
 「ありがとうございます! ……混ぜ方一つでこんなに違うものなんですね」
 「そうだね。小さい事だけど、こういうポイントを抑えると美味しい料理が出来るんだよ……そのくらいでいい」
 「はい。 ――ルック様はどこでお料理を習ったのですか? やっぱりレックナート様ですか?」
 「……」
 「ルック様?」
 「……いや、まあ、確かに腕が上がったのはレックナート様のおかげだね」
 「?」
 「あの人、味覚だけは超一流だから……」
 「あの、ルック様?」
 「ん、いや、ごめん。なんでもないよ。ええと、レックナート様に教わった事はないな。僕は本を頼りに独学。あと、たまに一流シェフの厨房を覗いたくらいだよ」
 「それでこんなに上手く作れるんですか! 流石ですルック様!」
 「いや……あと」
 「はい?」
 「うん、あと、何かおかしな調理法をすると、レックナート様が容赦なく味が変だ、これが足りないのでは、と仰ってくれたから……あと焼き加減とか……」
 「? ええと、やっぱりレックナート様もお料理がお上手、ということじゃないのですか?」
 「うーん……あのね、セラ」
 「はい、ルック様」
 「美味しい料理が食べたければ、レックナート様には作らせてはいけない。わかったかい?」
 「……」
 「前の繋がりは考えなくていいから。とりあえず、これだけ覚えておけばいいよ。分かった?」
 「……わかりました。ルック様」
 「うん、セラは賢いね。じゃあ続きをしようか」
 「はい、ルック様」

 レックナート様の料理は、ステータス異常もなく、ただただ純粋に不味い。






 4.カイル、スノウ

 「スノウ、ただいま」
 「おかえり! 遅かったねカイル。朝から待ってたんだよ」
 「うん、ごめんね。今日はちょっと買う荷物が多くて。それで、頼みって何?」
 「そう! お願いがあるんだ!」
 「うん、何?」
 「これ! これを明日までに欲しいんだ!」
 「ええと……のどあめ」
 「うん! なんだかお父様がのどいがいがするっていってたから! 道具屋に売ってるよね」
 「……そうだね、さっき行った時にはあったよ」
 「よかった! じゃあもうそろそろ閉まっちゃうし、行ってきてくれるかい?」
 「わかったよ。 ……それだけ?」
 「もちろん! 僕が君をそんなにこきつかうわけないだろ!」
 「そうだね。ありがとうスノウ。じゃあ僕行ってくるね」
 「うん! なるべく早く帰ってきてね」
 「うん」


 「ごめんくださーい」
 「おやカイル。どうしたんだい?」
 「えっと。のどあめください」
 「はいはいのどあめね。なんだ、だったら昼来たときに買えばよかったのに。買い忘れたのかい? それにスノウぼっちゃんが呼んでるって急いでただろ。あんまり坊ちゃんを待たせちゃいけないよ」
 「ううん、だいじょうぶ。これは、スノウのおつかい」
 「…………そうなのかい」
 「うん、だからだいじょうぶ」
 「そうかい……ええと、おまんじゅう食べるかい?」
 「食べる」
 「よし、じゃあちょっと待ってな。お茶も淹れてやるからね」
 「あ、いらない」
 「ん? どうしたんだい?」
 「スノウいそいでる」
 「あー、じゃあおまんじゅうは?」
 「食べながら帰る」
 「そうかい。じゃあ転ばないようにね」
 「ありがとう」


 「ただいま、スノウ」
 「あ、お帰り! でもごめん、なんかお父様のど大丈夫みたいだった」
 「そう」
 「ごめんね!」
 「いい。おいしかったから」
 「そっか! じゃあ遊ぼう!」
 「うん」


 小間使いの日常。 



 ……ここまでお付き合いいただきましてありがとうございました!
            




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