賭け




 その部屋には大勢の人がいたが、その部屋を支配するのは主に二つの吐息と、鈍く鋭く打ち合う音、そして異様なまでの気迫だった。
 大勢の瞳が見つめる中、二つの影だけが動き、近づき、離れる。
 ――カンッ!
 一際高い音がなる。その音に幾人は思わず身をすくませ、幾人は終わったかとずっとつめていた息を吐く。
 しかし、その影は少しもその動きを停滞することなく、滑らかに動き続ける。
 ビクトリア城の訓練室。
 そこでは現在、軍主シュウユウとその客にして『トランの英雄』タクト・マクドールが手合わせをしていた。



 ごくごく普通に訓練をこなしていった時だった。
 ちょっと隅借りるねーと軽く入ってきた軍主。彼が唐突に入り、また何するでもなく出て行くのはいつものことだったので、訓練をしていた兵も、教官を務めていた将達も特に気にすることはなく、そのまま訓練を続けていた。
 しかし「じゃあこっちから」「はい、どうぞ」とかそのような声が聞こえたかと思うと、部屋の隅から信じられないような殺気が膨れ上がった。
 驚き、視線を向けるとそこには共に赤い服を着た二人の少年。いうまでもなく、先程入ってきた軍主たち。そのことにまずは安堵し、落ち着いてみると、殺気と感じたモノは恐ろしいまでの鬼気であった。皆の視線など一切気にする風もなく、一人は微笑み、一人は一切の表情の伺えない顔で自らの獲物を構え、そして対峙していた少年達はふいに動いた。
 がきん!
 一瞬の後、それまでの立ち位置を完全に交代した形で、迫るトンファーを棍が抑えていた。
 もはや、訓練をするものは誰もなく、兵も将もただその動きをみつめるだけだった。



 今のは、危なかったですかね?
 内心そう思いながら、タクトは棍を振るう。
 すくいあげてくるトンファーを受け流し、目を細める。
 実際、目の前にいる自分より年下の少年の技量は想像以上だった。
 正直、もっと余裕があると思っていたのだが。
 余裕どころか、気をつけないとこちらが負ける。
 現に、先程も試しに少し甘く打ち込んでみたら、相手は喜んで棍をはじこうとしてきた。慌てて体制を直し、受け止めたが、遊びは出来ないと良く分かった。まあ、あのルカ・ブライトを討ち取ったのだから、油断できないのは想像するに容易いことだったはずなのだ。
 まさか互角とは。最近、弱い敵しか葬ってこなかったし。自惚れてましたかね?
 トラとか鎧とか三人組みのお姉さんとか。
 反省しよう、そして修行しよう、と心に決め、横薙ぎにきたトンファーをかわした。



 うっわムカつくこの英雄。
 トンファーで殴りつけながらシュウユウは思う。
 なんだか、たまに手を抜いてないかコイツ。
 今も攻撃をかわされたのになんかすっごい嬉しそうに笑ってるし。
 まあ、こちらを舐めてくれるならそのまま勝って後悔してもらうだけ、と思っていたのだがなかなか致命打とらせないし。
 確かに凄い技量だよ?
 受け流され、かわされ、止められているが、こちらも同じくらい流している。
 つまりは、今のところ全く互角なのだ。
 なのにその余裕はなんですか。
 年ですか。年の差ですか。
 うわムカつく。
 討ち取るべし。
 決意をみなぎらせ、またトンファーを打ちつけた。



 雰囲気が変わった。
 それまでも充分に周りを萎縮させるような鬼気を放っていた二人だが、さらに何か強い決意みたいなのをたぎらせている。
 互いに本気になったということなのか?
どちらかというと熱い部屋の中、寒気がし、背を冷たい汗が流れる。
 そっと服の上から押さえる間にもトンファーが、棍が、舞うかのように動き続ける。
 打ち、突き、薙ぎ、受け、流し、払い、かわし、また打ち。
 まるで永遠に終わることがないような、そんな錯覚を覚えたところで。
 がち。
 棍がトンファーを払う。が、少し浅い。
 限られた者には、その瞬間捉えられるかどうかのわずかな隙が、しかしはっきり見えた。
 そして無論その隙はシュウユウにも見え。
 つん。
 一瞬の後、相手の喉もとに武器を突きつけていたのは、タクトの方だった。
 「はい、終わり」
 「……うー」
 にこやかなそのその宣言に、悔しそうに呻くシュウユウ。
 「僕が勝てたのに……」
 悔恨をたっぷりと含むその言葉にタクトは笑う。
 「駄目ですよ。顔でも何でも、隙があったら打たないと、ね?」
 そう、見えた隙は顔にあった。
 そこに打ち込めば確実に勝てる。
 しかし、訓練で思いっきり仮にもお客様の顔を殴りつけてもいいものかどうか。
 その一瞬の迷いがが逆に大きな隙を呼び、結果としてこれである。
 目を見張るほどに綺麗なタクトの顔を恨めしげにみつめる。
 しかし、負けは負け。相手が反則を使ったわけでもないので認めるしかない。
 「次は思いっきり殴ってやる」
 「そうして下さい。ところで」
 と、そこで言葉をくぎり、いつもの微笑とは違う、心底嬉しそうな顔になる。すっと顔を近づけ
 「約束は、覚えてますね?」
 「……まあね」
 「いきなりは無理だろうから、まあ一回目は一週間後くらいでもいいよ」
 「そりゃどうも……」
 手合わせを始める前の約束を思い出し、うんざりとシュウユウは吐き捨てた。
  
 
 
 時は、少し戻る。
 「タクト、手合わせしない?」
 「うん、いいですよ」
 ビクトリア城、レストランのテラスにて。サラダのレタスをフォークでつつきながらにこやかに出された提案に、タクトもにこやかに応じた。
 「食べた後に手合わせのお誘いは初めてだよ」
 「うるさいな。今思いついたんだよ。それに食後の戦闘なんて珍しくないっしょ」
 「まあね。じゃあ、ただ戦うのもつまらないから、何か賭けませんか?」
 「おっいいね。でも僕、何かを賭けて負けたことないよ?」
 「奇遇だね。僕もだよ」
 「へえー」
 「ふふふ」
 互いに不適に笑ってにらみ合う。ある意味、戦いはすでに始まっていた。
 「じゃあ、僕が勝ったら僕が納得する味のシチューを君が作ってくれる?」
 「……納得する味?」
 思わずタクトの空になった皿を見る。そこには先程までシチューが入っていた。
 「ハイ・ヨーの料理、美味しいと思うんだけど」
 どことなく不満そうな言葉に同意するように頷き、
 「うん。見込みはあると思うよ。そうだ、今度グレミオの特製シチューのレシピをあげますね」
 「……どーも」
 「それで、話を戻しますが僕が納得するまでは何度でも作り直してね」
 「……はーい。じゃあ、僕が勝ったら、うん。いちいち迎えに行くの面倒だから一ヶ月くらいビクトリア城で過ごして」
 「いいですよ」
 「じゃ、いこっか」
 「行きましょうか」



 ………はあ。
 会話を思い出し、シュウユウは深いため息を吐いた。
 「とりあえず、グレミオさんのレシピ、貰いに行こうか」
 「お待ち下さいシュウユウ殿!」
 背を丸めて出て行こうとしたシュウユウを呼び止めたのは、二人の戦いをずっと見ていた将の一人、元マチルダ青騎士団団長マイクロトフ。顔は上気し、目は潤み、手はにぎり拳をつくっている。
 「素晴らしい試合でした! 是非、我らにもご指導願えませんか!?」
 「え」
 熱気、もとい熱意におされ、おそるおそるマイクロトフの肩越しに後を見てみると、同じく感激した様子の兵に将たち。口々に「感服しました!」「お願いします!」とか言っている。
 まさか、今からシチュー作りの練習がしたいので嫌ですとも言えなく。
 「……じゃあ、少しだけ」
 こくりと、頷いたのであった。



 「うっわもう夕方だし」
 「皆さん凄いテンションだったからね」
 再びビクトリア城レストランテラス内にて。
 結局みっちりと訓練に付き合ってしまったシュウユウはぐったりとテーブルに顔をのせていた。
 「水こぼれるよ」
 「もーいい。むしろこぼす」
 「こらこら」
 心底どうでも良さそうなシュウユウに一応つっこみを入れつつ水がこぼれないよう位置をずらす。
 「そんなに疲れた? 僕も手伝ったじゃない」
 「いや身体は疲れてないけど。あのテンションに疲れた。ついでにこれからの予定にも疲れた」
 「未来に疲れる事はないでしょう。それに、兵に好かれるというのは大事なことですよ」
 「いや分かってるけど」
 ふー、と息を漏らす。
 「あー、とりあえず、レシピは明日ね」
 シュウに見つかんないよう出なきゃなーとぼやくシュウユウにああ、そういえば、とタクトが呟く。
 「ねえ、ひょっとしてグレミオのレシピ通りに作るつもり?」
 「えーなんで駄目とかいうなよ? 最初にマネすんなとか条件つけなかっただろ」
 「いや、それはいいけど。ただ、逆に難易度高くなると思うよ」
 「はあ!?」
 どういうことだと詰め寄るシュウユウに小首を傾げつつ、言葉をつむぐ。
 「いや、いくらレシピ同じでも作り手が違ったら味も変わるんですよ。それで、グレミオ寄りの味を下手に目指すと、逆に差異がはっきり分かっちゃうっていうか。完璧に真似が出来ればそれはそれでいいんですが」
 期待する分、下手な模造品はよけいに腹立つというか?
 さらっと言ってくれるタクトに、しかし負けた以上文句の言えないシュウユウは
 「……つまり、自分オリジナルでなんか美味くつくれと?」
 「参考にする分にはいいと思うけどね」
 「……なんであの時躊躇ったんだ僕の馬鹿。ああくそ今なら凄い気持ちよく殴れんのにってか今すぐ殴ってでもって記憶とばして湖に沈めて」
 「一応言うけど。聞こえてますよ?」
 「聞かせてるから」
 「まあ、そう悲観しないで。一応、この条件クリアした人、前にもいたし」
 「うっそ誰!?」
 がばっと身を起こし、詰め寄ってくる。
 「うーん、ごめん。その人も賭けで負けたんだけど、誰にも言うなって言われてるから。もしもバラしたら切り裂かれちゃうよ」
 「うわ今さらっとバラしたよね」
 「まあ、楽しみにしてるよ」
 とても綺麗な顔で、英雄は笑った。



 「ルックー! シチューの作り方教えて?」
 「頭沸いたのアンタ」
 唐突に現れて唐突にわけの分からないことを言われ。
 不機嫌さを隠そうともせずに突き放す。
 「だいたい、なんだっていつもいつも僕のところに来るのさ」
 「えー。今日は理由があるよ。つかルック先生じゃなきゃダメなの。助けて先生助けろセンセイ」
 がつ!
 無言で振り下ろしてきたルックの杖をトンファーで防御。
 「コラ何すんだ魔法使い」
 「馬鹿な猿に躾をね。それにしても」
 さっきから一体何を言っているのか。
 尋ねようとして、ふと視線に気づき上を見上げる。
 「……タクト。……シュウユウ?」
 「なに?」
 「シチューが作りたくて、僕じゃなきゃ駄目で、タクトが笑ってる?」
 見上げたまま静かに尋ねる声。上を見ているため表情は分からないが、ゴゴゴゴゴとなにやらオーラが出ている。
 「……うん」
 思わず一歩下がるシュウユウ。
 「そう……」
 す、とごく自然な動作で杖を掲げる。
 そして予言通り。
 「切り裂き?」
 「疑問系で広間こわすなー!!」
 突発性竜巻発生。
 英雄、笑顔で応戦。
 「裁き」
 「うわあ馬鹿―!!」
 


 結局、燦々たる広間の有様をぼおっとした目でみつめながら「教えないと皆に吹聴する」と軍主に脅されたルックは不承不承、シチューの作り方を教えたそうな。



 「泡立てるのが遅いんだよ! しかも雑!」
 「ウルサイ主夫」
 「教えてもらっておきながらその態度はなんだい!」



 タクトが納得するシチューが出来るのは、まだ当分先の模様。



                       END



ルックはレックナート様により家事全般エキスパートとということで。  




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