「……そんなことはありません」 思わず足を止めた。 そっと気配を殺してなんとなく俯きがちだった視線を上へと向ける間にも会話は続けられる。 「はっはっは、もっと直接的に表現してもらいたいのだけどね。では好き、ということでいいのかな?」 「……そうですね」 ……。 ………………何だって? たっぷり数秒は硬直した後、ばっと完全に顔を声の方へと向ける。 すると、横目でこちらに気づいたのは、想像通り、黒鷹サン。 一瞬目を細めたかと思うと、そのまま微笑んで自分の顔を指差す。 その動作を認めた瞬間に。 俺は背を向けて逃げるように歩き出した。 「? どうしたのですか?」 「ん? いやなんでもないよ。それよりもう一度……」 彩国の回廊をゆっくりと歩く。 口元は意識して吊り上げる。それだけで、傍からは余裕のある表情に見える自分の顔は便利だと思う。 矢張り敢えてぶらぶらと腕を遊ばせながら思うのは、先程の会話。 黒鷹サンと、もう一人。 壁で姿は見えなかったが、自分があの人の声を聞き間違えるわけがないし、内容を思えば尚更この確信は絶対的なものだ。 なんで足を止めたのだろう。 いや、何故かと言えば、こっそり話を聞いていて突然乱入した方が楽しいからなのだけれど。 そのまま歩き続け、いつもの通りに軽い挨拶を交わせば、自分の存在を示せば、あの人は絶対にあんなことを少なくともあの場では言わなかったのに。 なんで黒鷹サンはあそこで微笑んだんだろう。 誇らしげに自分を指差して、堂々と。 もし、会話を聞かれた反応が、例えば、顔を引きつらせるとか、視線を逸らすとか。そんなものだったら。そんなものであったなら、明るく威圧的に会話に加われただろうに。 それなのに。 あんな風に、ソレが当然だと言う様な態度をとられては。 ……逃げるしか、ないじゃないか。 それ以上を、見たくないのなら。 「アーァ、まったくもう」 無意味にぼやきながら大きく伸びをする。 少しは気が晴れるかと思いきや全く晴れず、余計に虚しくなってきた。 「……あーァ」 何か気分転換になるものはないかと首を回すと、視界の隅に何かが移った。 「お?」 当りだ。 「オーイ花白、何やってんノ?」 朗らかな笑顔と共に手を振ってやれば、自分と同じ桜色の髪の下の表情は見事に渋面。オヤオヤ。ご挨拶である。素晴らしい。 「別に。そっちこそ何やってんの? 仕事あるんじゃないの」 「いやー? 今日はあの人にも呼ばれてないしネ。何? お前またくまさんのとこにでも行こうとしてたの?」 「…………関係ないだろ」 あからさまに迷惑そうな様子を全く意に介さず多分に揶揄を込めて尋ねると、つい先日も遊びに行って黒鷹サンに送られてきたばかりなことは覚えているらしく、若干恥ずかしそうにこちらを睨みつけてくる。 「はーっ、お前ら本当仲いいよな。くまさんのどこがそんなに面白いのか分かんないけど、俺も行ってみようかナ?」 「なっ、ちょ、まさか本気じゃないよね!?」 わざとらしく肩をすくめながら試しにそう言ってみると、間をおかずにぎょっとした表情で花白が食いかかってくる。やれやれ。 「アッハッハ、冗談に決まってるジャン? 少なくとも今日は」 「ちょっと、玄冬に妙な手出ししたら許さないからね」 「アッハッハッハッハ」 「ちょっと! 本当にいきなり玄冬に斬りかかったりしないでよ!? 玄冬に怪我させたら僕本気で怒るからね!」 「んなことするわけないだろ。お兄ちゃんを信じなさいって」 「だから誰がお兄ちゃんだっていうか、あんたは遊びでそういうことをするだろ!」 「まあね」 「……!」 あっさり肯いて見せると、きりきりと本格的に睨みつけてきた。まあ、これはこれで楽しいのだが、今日はこれくらいにしてやることにする。 「心配しなくても他人のには手を出さないって」 「それはなんか違う」 確かに。 「まーそれはともかく、あんまり遅くなるなよ? お前がいない時こっちに仕事まわってくるんだからな」 「え? そうなの?」 「当たり前だろ? まさかちっちゃい俺に俺達の仕事はさせられないだろ?」 無意識下での魔力の流用なら兎も角。 「そっか……そうなんだ」 俺は仕事をサボるけど外泊することなどは滅多にないので互いがいない時のフォロー体制を本当に知らなかったらしい。急に困ったような顔になり、今にも歩き出そうと斜めにしていた身体を少しこちらへと向き直す。 「いーよ。行ってこいよ」 まあ可愛いと言ってもいい態度に思わず素で笑いながら手を振ってやる。それでもまだ躊躇いを見せるので更に 「お兄ちゃんは優しいからネ。それにその内まとめて返してもらうカラ」 にやにやと笑いながら嫌がる事を言ってやる。すると案の定 「だから図々しいんだよあんたは! ……行ってくる」 ほとんど条件反射のように叫んだ後、気を使うのが馬鹿らしいと思ったのか半眼で最早迷うことなくくるりと背を向け歩き出す。 「行ってらっしゃい」 見えないと知りながら笑顔で送ってやった。 「あー。隊長のとこにでも行こうかなー」 花白と別れ、また一人ぶらつきながら辿り着くのは結局いつもの思考。 しかし、いつもだろうとなんであろうと今一人で居たくないのは確かな思いなので、早速隊長の執務室に向かうことにする。 誰とも会わずに部屋を目指すと、あと一つ、ということろで呼び止められた。 「まってくれ」 「まってー」 幼い聞きなれたその呼び止める声の持ち主は、小さな自分と小さい玄冬。こはなとこくろだった。 「んー? なに? 俺になんかようー?」 まあ用があるから呼び止めたのだろうが。 「あのねー、タカからの伝言ー!」 膝は曲げずに片手を添えた腰を折って屈んでやるとこはなが元気良く腕を突き出しながら叫ぶ。 ……黒鷹サンから伝言? 「ふぅん。何?」 嫌な予感なのか期待感なのか。良く分からない気持ちのまま問いかけると、それにはこくろが軽く手を挙げつつ 「ああ。おれとこはなが聞いた事をそのまま話してやって欲しいと言われてな。多分隊長の所にいくだろうからと言われて待っていたんだ。じゃあ言うぞ」 『だから貴方は何をやっているのですか!』 『ああ、分かった、悪かった! そんなに怒らなくてもいいじゃないかもう』 『お黙りなさい! 私はもう最近は貴方の姿を見る度に情けないというか腹立たしいというか嫌気がさしているのですよ!?』 『なっ……!? ちょ、流石にそれは酷いんじゃないかな!?』 『何が酷いものですか! 酷いのは貴方の生活態度です! 改めない限り、私はしばらく貴方の姿を見るのも嫌です!』 『おおーい!? そんな本気で傷付くんだけど……あ! そうだ! しかしそんな事を言ってはいるが貴方は私の姿は決してキライじゃないはずだよ!』 『……何をいけしゃあしゃあと。図々しい』 『だって、あなたもだけど、私も主のデザインだよこの姿』 『………………!』 『ね?』 『ひ、卑怯ですよ黒鷹……!』 『はっはっは、我ながら少々言っていて情けないがね! しかしどうだい! あなたは私の外見が嫌いだと断言出来るのかな!?』 『……そんなことはありません』 「……なあ、大丈夫かあんた?」 淡々と告げられた会話劇にがっくりと項垂れた俺にぽん、と控えめにこくろの手が置かれる。 「ああー。ウン。あの指差しはまんま顔のこと、て意味ねって分かるわけ無いでしょ黒鷹サンー」 あまり項垂れているのも格好悪いのでさっさと立ち上がる。 なんだか早とちりみたいでもう非常に恥ずかしい。しかしあの会話でだけでは無理もない気もしなくもないが、とりあえず 「ところでさ、黒鷹サンが自分で言いに来ないのってー」 「なんかねー、自分で会いにいったらもんどーむようできられるかもしれないからっていってたよー」 「最悪の場合、というのが間にはさまるがな」 「……ソウ」 つまり、ほぼ間違いなく自分が何をどう誤解したのがバレてる、ってことか。 「アッハッハ。最悪。 ……ネェ、ところで俺からも黒鷹サンに伝言いいかなー?」 「ああ、かまわない」 「ていうかきっと伝言たのまれるからひきうけてやってくれってタカ言ってたし」 「こはな、それは言うなとも言ってたぞ」 「あれそうだっけ?」 無邪気な笑顔で答える小さい俺に小さいクセに大人びた表情でこくろが窘める。まあそれはいいとして。ここまでお見通し感があるとなんだか腹が立ってきた。 「へぇー。まぁイイケドネ。じゃあさ、とりあえず伝言。『今度黒鷹サンの奢りでお酒飲もうネ』。以上」 「…………そんなのでいいのか?」 「ウン。よろしくね」 よく意味が分からなかったのだろう。いや正確に言うならこの状況と、飲みを要請する状況が上手く繋げられないのだろう。大人びていると思ったばかりだか矢張りお子様である。大きな目をしばたかせている。ちなみにこはなは何の疑問も持っていないらしくそんなこくろの様子をキョトンと見ている。 ……こっちの反応の方が可愛いがなんだかおばかな気がしてなんとなく面白くない。だってある意味俺だし。 兎に角、それ以上喋ろうとしない俺に納得したのかどうかは分からないが、分かったと肯いた子供たちが仲良く手を繋いで去っていく。 「悪いネー」 「いや気にするな」 「じゃあまたねおっきいぼくー!」 手を振ってやりながら見送ってあげる。完全に姿が消えたところでこちらも行動を開始。誤解と分かったので気持ちが晴れたりむしろ曇ったりしたが、とりあえずこれからするべきことはなく、かといって今はあの人とも黒鷹サンとも会いたくないし、文官や女の子達は何処にいるか分からないので今は探す気分でもない以上、向かう先は数分前と変わらない。 そして 「ヤッホー隊長元気ー?」 あっさりと辿りついた隊長の執務室のドアを開けていつものように笑顔でご挨拶。 「人の部屋に入る時はノックぐらいしろ!」 「エーでも今日は廊下を走って来なかったよー?」 「だからそれが褒められることだと……いや、そうだな、次は走らずノックをして、真っ当な用で来い。そうしたら褒めてやらんこともない」 「絶対ムリ」 「断言するな馬鹿者ッ」 早速いつもの様に説教を始める隊長と会話のお遊び。 ウンウン、やっぱり隊長はいい。 「おいこら貴様、何を笑ってる」 「ンー? ヤッパ隊長はいいなーって」 「何をわけのわからないことを。兎に角矢張り用がないなら出て行け。俺は執務中だ」 「ヤダ。寂しーからかまってよ?」 「知るかッ」 「ブッブー。今知りましたー」 「喧しい!」 「ンー。じゃあさ、今日帰り飲みいこ?」 「ああ? 何時になるか分からないぞ」 「イーヨ別に。飲みたい気分だし」 「そうか? まあ別に構わんがな。じゃあとっとと仕事を終わらせるから出て行け――とこら救世主、何床に座り込んでいるんだ何処から出したその本は!?」 「えー書類で遊んでいいの?」 「良いわけあるかっ! ああもう分かった、そこで待ってるならせめて椅子を持って来い!」 別に俺はいいのだが、床に座り込んでいるのが気に食わないらしくわざわざ椅子から立ち上がって俺の腕を引き立たせる。本を持っていてやるから、というので本を渡すと、何故か受け取ったまま視線を放さない。 「……何? 今から行く?」 「そんなわけあるか。 ……お前、何かあったのか?」 「は? 別に?」 驚いた。隊長がこんなに鋭いとは。いや俺がおかしくなっているのか。 「本当か?」 「うん。まあ色々花白とかひよこな俺とかに会ったけど。別にどうでもいいことしか。え? 何、なんか変? ひょっとして実は廊下走って欲しかった?」 「そんなわけあるか!」 「わあつい数十秒前とおんなじ台詞ー」 「……よし、いいから椅子を取りにいけ。出来ればそのまま数時間帰って来るな」 「アハハハ、隣で借りるからすぐ戻るよー」 空いている手で顔を覆い首を振る隊長にぽんぽん、と背中を叩いてからくぐったばかりのドアへと向かう。外へ出る瞬間。 「本当に、どうでもいいことしかなかったんだな?」 「うん、ホントー」 かかった声に振り向き、ドアを閉めないまま確信を込めた笑顔と声音で首肯した。 迷いの無い俺の様子に漸く納得したのか先程よりわずかに緩んだ表情で机へ戻る隊長を視界の端で確認しながら、隣のドアへと向かう。とは言え無駄に広いので数メートルはある。 その間に浮かぶのは、作らないからどんな表情か自分では分からない。 先程の隊長への言葉に嘘はない。 花白には熊さん。こはなにはこくろ。あの人は……少なくとも神様の心棒者。 「どうしようもないことなら、それはいっそどうでもいい事と認識し直すしかないでショ?」 呟いた声は、誰の耳にも入ることを知りつつも誰かに聞いて欲しい素直な自分の気持ち。 ナルシズムに走っている気もするが別にいい。とりあえず今夜は大いに付き合ってもらうことにしようか。 内心そう決心し、俺は椅子を借りるべくドアをノックした。 |