59,血





 「まだ、精進しないとね。銀朱」
 ゆったりと微笑んで、その人はそう言った。
 「……はい」
 頭を垂れ、隠れた表情の中、唇を噛む。
 すると、くすくすと笑い声が聞こえた。
 「そんなにがっかりすることはない。悪いとは、一言も言ってないよ?」
 見えないはずの表情も、この人にはお見通しなのか。
 小さくため息をついて父たる灰名を見上げた。



 「腕前を、見てあげよう」
 そう言って笑ったのはほんの数十分前。
 体の弱い父は、しかし最近は体力がついてきたらしく、少しずつ散歩に出る時間も長くなった。
 さらさらの、それこそ始めに陛下より賜った「銀狼」の何に相応しい透き通った銀髪を風になびかせて笑う。
 ……そういえば、昔、「どうして灰色のかみのぼくが銀朱で、銀色のかみのちちうえが灰名なの?」などと聞いて笑われたことがあったな……。
 「宜しいのですか、父上」
 そんなことを思い出しながら尋ねると、とても俺の倍ほどの年とは思えない若々しい顔であっさりと頷く。
 「勿論。それとも銀朱は忙しいのかい?」
 「いえ、とんでもありません。今用意します。少々お待ちください」
 実を言えば忙しかったのだが、折角の父の申し出だ。
 俺は一礼をして用意をしにいった。
 


 正直、自信があった。
 昔はそれこそ比べる方が馬鹿馬鹿しい程に実力差もあったのだが、俺もそれなりに……いや、日々精進し、努力を怠らなかった。
 けれど、つきつけられるのは純然たる事実。
 俺は、まだこの父には到底適わない。
 そして、落胆を伝えたくないのにそれすらあっさり看破されてしまう。
 「悪くない、ですか……」
 開き直ることにし、苦笑してみせると、父はゆっくりと首を振りながら
 「いいや、言い方が悪かったね。悪くない、どころか一般的にみたら充分に美味しいよ」
 「ですが、まだまだ父上の味には敵いませんね」
 二つの皿にのった漬物をつつきながらぼやくと、父はどことなく嬉しそうに
 「それは、私は君より年季があるからね。でも大丈夫。銀朱も我が家の伝統の味に添ってきているよ。この間も、花白君のところに持っていったら、好評だったんだろう?」
 そっと手を伸ばして俺の頭を撫でながら顔を覗き込んで来る。
 「父上、俺はもう23なのですが……」
 「そして私の子供だね」
 「父上……」
 ここが父の部屋だからまだいいが、もしこんなところを誰かに見られようものなら……。
 かといって手を払いのけることも出来ず、どうしようか思い悩んでいると
 「ははは、冗談だよ。はい、引き止めて悪かったね。本当は、仕事があるんだろう?」
 と、父の方から手をどけてくれた。しかし……
 「なんでバレタのか、という顔をしているね。勿論、親だから、と言いたいところだけど。とんでもない、と言われながらあんな困った表情をされてはね。誰でも分かるよ」
 くすくすと口元に手を当てながら視線を向けられる。
 いかん、顔が熱い。
 「そ、それは失礼しました……」
 赤くなっていないといいのだが……。
 「いいや? それより銀朱、忙しい時は私の思いつきにつきあわなくて良いんだよ。まあ、君は優しい子だと再確認出来たのは嬉しかったけど」
 「……ッ、あ、えー。そ、それではこれで失礼します」
 「ああ、頑張っておいで」



 両手に漬物皿を持ちながら家の廊下を歩く。
 なんだか色々と予想外に疲れたが、しかし結果的に評価は悪くなかった。
 二人で食べくらべて見た時、確かに父の方が美味かったが、しかしその差は前回食べ比べた時よりも確実に縮まっている。
 来年……は無理にしても、5年後には……!
 俺は新たに決意をし直し、皿を台所へ帰すべく道を急いだ。



 初代救世主の家系には伝統奥義の他に漬物作りの熱い血も流れているとか。

 




  *花帰葬部屋へ*