19,手を繋いで






 「さあ、参りましょう。花白」
 そういってあの人は優しく冷たい目で微笑んだ。
 「……」
 黙ってみたけど、あの人は歩き出す。振り返りもせず、僕がついて行くと確信して。
 早くもなく、遅くもなく。ただいつものゆったりとした足取りで。
 そして、僕も歩き出す。
 分かっていた。
 あの人の転移でここまで来てしまった以上、もう逃げることは出来ないのだと。
 だけど、それでも。
 あの人の背中を眺めて歩きながら、吐きたいような気分になる。
 だって、これから、僕がすることは。
 「……っ」
 顎を冷たいものが通る。
 どうやら、いつの間にか唇を噛み切っていたらしい。痛い。
 「花白?」
 泣きたくなりながら黙ってぬぐっていると、あの人が気づき、初めて振りかえる。
 そして身を屈め、僕の血を拭いながら、また微笑む。
 「緊張しているのですか? 初めてですからね。大丈夫です、貴方なら出来ます。いえ、貴方にしか出来ないことなのですよ」
 「……」
 やっぱり何も言えなくて、黙っていると、血が止まったのを確認したあの人は、僕の目を覗き込みながら
 「期待していますよ、花白」
 笑う。
 そして、僕は何も言えない。
 また歩き出し、ついに、目的地に着く。着いてしまう。
 「あ、こ、これは白梟様! 救世主様も、どうしてこのような所へ」
 見張りの兵士が、ドアがあるのとは反対方向から現れた僕らに驚く。
 「死刑囚の檻は、ここですね」
 それは問いではなく確認。
 「は? はい、そうですが、あの……?」
 戸惑う兵士にあの人が優しく微笑む。凍った瞳で。
 「彼らの処分は、私達が。よろしいですね」
 「え、いや、その、隊長の許可は……」
 「陛下がお許しになります。あなたは、何も心配しなくていいのですよ。さあ、鍵を」
 それは、許可などない、という意味だったけど、陛下、という言葉と、あと多分きっとあの人の微笑みに、緊張して強張っていた兵士の顔が緩み、懐から鍵の束を出し、そのうちのいくつかを示す。
 この馬鹿。なに簡単に渡してんだよ。
 ああ、これで、もう逃げられないじゃないか。
 「ありがとうございます。終わりましたらお呼びしますから、それまで休んでいて下さい」
 それはやっぱり、出て行けということだったけど、気づかずに兵士はそのまま出て行こうして、そこでようやく僕の視線に気づいたのだろう。僕の顔を見て、一瞬驚き、そして気まずげな顔になる。
 「……それでは、失礼致します、花白様」
 そして、まだほんのガキでしかない僕に馬鹿丁寧な敬礼をして出て行った。
 ……くそ。
 「花白」
 手早く鍵を開けたあの人が、優しく僕を手招きする。
 導かれるまま、震える足をなんとか前に出し、冷たい牢屋の中に入る。
 ずっと腰に下げていたままの剣が、異様に重く感じる。
 繋がれた死刑囚達の視線が僕に、腰の剣に絡みつく。
 きっと怯えているであろうその顔を、とても見ることが出来なくて、ただただ石畳を見ていると。
 「さあ、花白」
 あの人があくまでも優しく、無慈悲に促す。
 「……」
 「大丈夫です。いつも練習した通りにすればよいのですよ」
 「……」
 「これが、この世界の為でもあるのですよ、分かっているでしょう? 花白」
 「……」
 「さあ、いい子ですね」
 優しい優しい、その声に。
 いつものように逆らえず、僕は腰の剣に手を伸ばす。
 途端に響く死刑囚の悲鳴。
 その声に、耳を塞ぎ、僕は必死に自分に言い聞かせる。
 大丈夫。僕は大丈夫。あの人の言うとおり、いつもの練習通りにすればいい。確かにそれが世界の為で、それにこいつらはどうせ罪人で。死刑になるんだから、何も変わらない。僕は悪くない。大丈夫、大丈夫。大丈夫!



 「よく出来ましたね、花白」
 悲しいくらいに大した運動量でもなかったのに、ハアハアと荒い息をつく僕に、あの人が優しく微笑む。それは、今日初めての作られた笑顔じゃなくて。
 たおやかな手で僕の頭を撫で、細く繊細な指で僕の髪をすきながら、むせ返るような匂いの中、あの人は優雅に微笑む。
 「上手でしたよ」
 僕の好きな笑顔は、こんな時にしか見せてくれない。
 そして、こんな事をして褒められたのに、それが、僕に向けられたその笑顔が嬉しいと思うのを確かに感じる。
 「では、帰りましょうか」
 上機嫌の様子のまま、あの人がそっと手を差し伸べる。
 意味が分からなくて、戸惑っていると、またあの人が可笑しそうに笑った。
 「手を。花白」
 手を繋ぎましょう?
 あの人が、そんなことを言ってくれるのは初めてだった。
 むせ返る匂いも、耳にこびりついた悲鳴も、手に残る感触も、床を、壁を汚す赤い色も、全部全部そのままなのに。
 それなのに、とてもとても嬉しくて。
 「……はい」
 「――ようやく話してくれましたね」
 「……ごめんなさい」
 「いいえ? では参りましょう。偉かったですよ、花白」
 「……はい」
 そして、僕らは手を繋いで歩き出した。 
 




  *花帰葬部屋へ*