「さあ、参りましょう。花白」 そういってあの人は優しく冷たい目で微笑んだ。 「……」 黙ってみたけど、あの人は歩き出す。振り返りもせず、僕がついて行くと確信して。 早くもなく、遅くもなく。ただいつものゆったりとした足取りで。 そして、僕も歩き出す。 分かっていた。 あの人の転移でここまで来てしまった以上、もう逃げることは出来ないのだと。 だけど、それでも。 あの人の背中を眺めて歩きながら、吐きたいような気分になる。 だって、これから、僕がすることは。 「……っ」 顎を冷たいものが通る。 どうやら、いつの間にか唇を噛み切っていたらしい。痛い。 「花白?」 泣きたくなりながら黙ってぬぐっていると、あの人が気づき、初めて振りかえる。 そして身を屈め、僕の血を拭いながら、また微笑む。 「緊張しているのですか? 初めてですからね。大丈夫です、貴方なら出来ます。いえ、貴方にしか出来ないことなのですよ」 「……」 やっぱり何も言えなくて、黙っていると、血が止まったのを確認したあの人は、僕の目を覗き込みながら 「期待していますよ、花白」 笑う。 そして、僕は何も言えない。 また歩き出し、ついに、目的地に着く。着いてしまう。 「あ、こ、これは白梟様! 救世主様も、どうしてこのような所へ」 見張りの兵士が、ドアがあるのとは反対方向から現れた僕らに驚く。 「死刑囚の檻は、ここですね」 それは問いではなく確認。 「は? はい、そうですが、あの……?」 戸惑う兵士にあの人が優しく微笑む。凍った瞳で。 「彼らの処分は、私達が。よろしいですね」 「え、いや、その、隊長の許可は……」 「陛下がお許しになります。あなたは、何も心配しなくていいのですよ。さあ、鍵を」 それは、許可などない、という意味だったけど、陛下、という言葉と、あと多分きっとあの人の微笑みに、緊張して強張っていた兵士の顔が緩み、懐から鍵の束を出し、そのうちのいくつかを示す。 この馬鹿。なに簡単に渡してんだよ。 ああ、これで、もう逃げられないじゃないか。 「ありがとうございます。終わりましたらお呼びしますから、それまで休んでいて下さい」 それはやっぱり、出て行けということだったけど、気づかずに兵士はそのまま出て行こうして、そこでようやく僕の視線に気づいたのだろう。僕の顔を見て、一瞬驚き、そして気まずげな顔になる。 「……それでは、失礼致します、花白様」 そして、まだほんのガキでしかない僕に馬鹿丁寧な敬礼をして出て行った。 ……くそ。 「花白」 手早く鍵を開けたあの人が、優しく僕を手招きする。 導かれるまま、震える足をなんとか前に出し、冷たい牢屋の中に入る。 ずっと腰に下げていたままの剣が、異様に重く感じる。 繋がれた死刑囚達の視線が僕に、腰の剣に絡みつく。 きっと怯えているであろうその顔を、とても見ることが出来なくて、ただただ石畳を見ていると。 「さあ、花白」 あの人があくまでも優しく、無慈悲に促す。 「……」 「大丈夫です。いつも練習した通りにすればよいのですよ」 「……」 「これが、この世界の為でもあるのですよ、分かっているでしょう? 花白」 「……」 「さあ、いい子ですね」 優しい優しい、その声に。 いつものように逆らえず、僕は腰の剣に手を伸ばす。 途端に響く死刑囚の悲鳴。 その声に、耳を塞ぎ、僕は必死に自分に言い聞かせる。 大丈夫。僕は大丈夫。あの人の言うとおり、いつもの練習通りにすればいい。確かにそれが世界の為で、それにこいつらはどうせ罪人で。死刑になるんだから、何も変わらない。僕は悪くない。大丈夫、大丈夫。大丈夫! 「よく出来ましたね、花白」 悲しいくらいに大した運動量でもなかったのに、ハアハアと荒い息をつく僕に、あの人が優しく微笑む。それは、今日初めての作られた笑顔じゃなくて。 たおやかな手で僕の頭を撫で、細く繊細な指で僕の髪をすきながら、むせ返るような匂いの中、あの人は優雅に微笑む。 「上手でしたよ」 僕の好きな笑顔は、こんな時にしか見せてくれない。 そして、こんな事をして褒められたのに、それが、僕に向けられたその笑顔が嬉しいと思うのを確かに感じる。 「では、帰りましょうか」 上機嫌の様子のまま、あの人がそっと手を差し伸べる。 意味が分からなくて、戸惑っていると、またあの人が可笑しそうに笑った。 「手を。花白」 手を繋ぎましょう? あの人が、そんなことを言ってくれるのは初めてだった。 むせ返る匂いも、耳にこびりついた悲鳴も、手に残る感触も、床を、壁を汚す赤い色も、全部全部そのままなのに。 それなのに、とてもとても嬉しくて。 「……はい」 「――ようやく話してくれましたね」 「……ごめんなさい」 「いいえ? では参りましょう。偉かったですよ、花白」 「……はい」 そして、僕らは手を繋いで歩き出した。 |