038.告白は夜に




 ああ、またか。
 穏やかな張り付いた笑みの陰で、そっと嘆息をつく。
 窓から覗く月が煌々と輝いている。
 そろそろ仕事しなきゃ怒られるからと、シュウユウの部屋から追い出され。
 ルックを誘ってご飯でも食べようかなとエレベーターに乗ろうとしたところで。
 階段の隅に座っていた人に、突然に声をかけられた。
 気配でそこに誰かいるのは分かっていたので別段驚きはしなかったが、影から出てきたのが若い女性……というか、まだ十四、五の少女だったのと、もう夜で冷えてきたというのに赤くなっているその表情で、大体の用件が分かってしまい、ため息をつかづにはいられない。
 『あの、タクト様』
 そう自分を呼び止めた少女は、そう言ったきり俯いて何も話そうとしない。
 やれやれ。
 自分の経験と、一般論から見ても、きっとこれは告白されるのであろう。
 恐らく相手が僕を見つめているときに僕の視界にも入っているからであろう。どこかで見たことがあるようなその少女は明るい栗色の巻き毛で、それなりに品もあり、愛嬌のある可愛らしい顔立ちをしていたが、残念ながらその思いに答えることは出来ない。
 彼女としては、自分に声をかけるだけでもかなりの勇気を必要とし、その続きを言う事はまた更なる勇気を必要とするのだろう。
 それは分かるのだが、こうして僕が目の前で微笑んでいる時間が長ければ長いだけ、彼女の中の期待は高まり、同時に失望は大きくなるのだろう。
 お互いの為にも、早く用件を言ってもらいたいのですが。
 僕はどこかの魔法使いほど社交性を捨てきれないので、まさかそう口には出来ず、代わりに促すように優しい笑顔――これもまたまずいのだが、仕方がない――を浮かべ、首を傾げる。
 「はい、なんでしょう」
 それは随分と時間が経ってからの返事で、とても間の抜けたものだったけれど、それでもこちらから話しかけたことで彼女の緊張が高まると同時に安堵する、という複雑な効果を生む。
 そして、肩から腰までにかかったケープの中に手を潜り込ませているので断言は出来ないが、胸の前で手をそわそわと組み替えているらしい行動を取りながら、その口を開く。
 「あ、あの、わたしフロムと申します……」
 思ったより丁寧な話し方だ。
 「あ、あの」
 落ち着きのない様子ながら意を決したように顔をあげ、そして僕ではないどこかに焦点を合わせて形作ろうとした唇をそのままに動きが止まる。
 はて?
 何だろうと思い、視線の向こう、僕の後方には、そういえば兵士がいたな、と思い出す。
 多分、ただごとでない様子に好奇の視線を寄越しているのだろう。
 敵意や殺気でなければ、注目に慣れている為とはいえ気にしなさすぎる、というもの考えものだ、と内心反省しながら苦笑して上を指差す。
 「……屋上にでも、行きますか?」
 本当はあまり雰囲気のある場所に行きたくは無かったのだが、まあ仕方ないだろう。
 そう提案すると、フロムはこくこくと頷いた。
 「では」
 手は取らずに促して移動する。
 気にしてみれば、僕の背中に好奇の視線の矢がそれはもう大量に突き刺さっていた。



 「少し寒いですかね」
 「いえ……」
 屋上に出ると、幸いなのかどうか、人の影はなかった。
 更に上の屋根から、フェザーの理知的な目が見下ろしていたので、それには軽く会釈をしておく。
 「……? あの?」
 「ああ、なんでもありません」
 「そうですか」
 特に気にした様子もなく、まあそれどころではないのだろうが、フロムは一つ頷くと、一歩、二歩、と僕へと近寄る。
 ちりちりする感覚。
 個人的空間を侵害されていくせいか。
 しかしここで後ずさり、というのもなんだろう。
 「タクト様」
 至近距離から、少女の熱っぽい瞳が僕の瞳を真っ直ぐに見つめてくる。
 こげ茶色の瞳の奥は、強い意識の炎が燃えている。
 「こんな、私なんかが、タクト様に、こんなことを言うのも、と思ったんですが」
 雰囲気に酔っているのか、熱を帯びてきたフロムの声。
 「タクト様」
 「はい」
 返事をすると、更に顔を赤くし、小さく震えながら
 「貴方を愛しています」
 とんっ。
 「……」
 「……」
 ………………。
 ここが屋上で良かった。
 心臓に突き刺さる寸前に彼女の手ごと短剣を押し止め、逆にそのまま柄で少女の小さな胸を突く。
 そう力は入れていないつもりだったが、肺を一瞬圧迫され、フロムと名乗った少女は呼吸が止まったようだ。
 無言で苦痛に顔をしかめる少女の短剣を握る手をそのまま上へと吊るす。
 「……あっ」
 小さくもらされる苦鳴。しかしそれでも短剣を放さないのに少し感心をする。
 「……ええと、貴女の地方では、愛を言う時はその人を刺したりするんですか?」
 短剣を突きたてようとするその瞬間まで、その殺意に気づかなかった自分に呆れながら尋ねると、少女はきっとこちらを睨みながら呪詛を吐く。
 「ええそうよ」
 先程の陶然とした声とは打って変わった厳しい声。そして、こちらが何か言うより早く
 「これが、赤月帝国の貴族式よ。ご存じなかったのかしら、マクドールの方?」
 「――」
 告げられた言葉に絶句する。
 何故、このビクトリア城でシュウユウや軍師達ではなく、わざわざ僕を狙うのだろう、と不思議に思ったのだったが。
 ああ、なるほど。
 苦笑し、そっと手を放す。とたんに狙ってくる短剣。うん、天晴れ。
 「ええと、フロムは本名?」
 ただ振り回されるだけの剣先を難なく避けながら尋ねると、彼女は悔しげに頷く。
 「ああ……北の」
 そう呟くと、フロムの目が見開かれる。
 確か、北に領地を持っていた一族の娘に、そんな名前があったような。ついでにお見合い写真の中の一枚にもあったような。そう思い出し、言ってみたのだが、大当たりだったようだ。
 「……ご存知とは、光栄ですわ」
 ぎらぎらと目を輝かせながら、振り回す手を止め、肩で息をしながらこちらを睨みつける。
 「それで、どうなさるおつもりで?」
 「貴女は賢いね。一人で来たの?」
 「……使用人達はあの没落の日、家財を盗めるだけ盗んで逃げて行きました。お父様は戦死し、お兄様とお母様は、暴徒と化した愚鈍なる民草共の一方的な私刑を受けました。私は隠れながら、ただその光景を見ていることしか出来ませんでした」
 「そう……よくある悲劇ではあるね。過剰じみてはいるけど自業自得、といえばそれまでではあるし。そしてそれは一人で来た、という証明にはならないんだけど、貴女みたいに若くて可愛らしい方に面と向かって言われると、うっかり罪悪感で気にしなくなってしまいたくなりますね」
 自分でも、酷いと思う言葉を、微笑んだまま言うと、フロムの顔が引きつる。
 「……まあ、他に協力者がいようといまいと。あまり関係はないのですが」
 ほぼゼロ距離からの短剣も、防げたしね、と笑いかける。
 そして
 「じゃあ、僕はこれで」
 そう次げて礼がわりに片手を上げてみせる。
 「は、何を」
 すると予想通り声があがる。
 「何って、何です?」
 「私は」
 「貴女の命などいりません。シュウユウに迷惑がかからないように死体を処理するのも面倒ですし、それに、貴女の命に奪うほどの危険性も、価値も、残念ながら見出せませんでした」
 「な」
 殊更朗らかに告げると、今度はフロムが絶句する。
 「それとも、ひょっとして僕に殺されたかったんですか? それにしては計画的でしたけど」
 「な、なにを馬鹿な」
 「ええ、確かに自分で言うのはあれなのですが、死神としては僕は綺麗な死神ですしね。家族の敵をとろうとしての返り討ちなら、落ちぶれて『民草ども』に混ざって暮らすよりは、貴女にはそれなりに納得が出来たのでしょうか。まあ僕に言わせれば馬鹿馬鹿しいってことなのですが」
 「よ、よくもそんなことを……」
 「ああ、でも」
 ふと思いつき、背中に止めてある棍に手をかけ、一瞬身のすくんだフロムの方へひょい、と空をかき混ぜるように半回転。収納。
 「短剣は、没収しますね。自暴自棄になってその辺の子供とか狙われたらなんですし」
 「え」
 手にしていたはずの短剣が僕の手にあるのをみて驚くフロム。
 「……流石、トランの英雄、というところですか?」
 痛烈な皮肉。
 苦笑しながら適当に短剣をベルトに差し込みながら
 「他に隠している武器は、わざわざ僕に見せない限り没収しようとは思いませんから。じゃあ、僕はそろそろお腹が空いたんで。もう狙わないでくれると嬉しいです。でもってまたいらっしゃった時は、もうちょっと対応が厳しくもなりますので宜しく覚えてもらえると助かるかな? では」
 くるりと背を向け、手をふって階段へと向かう。背後には敵意と、とまどうような気配。迷っているようだが、あの子は賢い。本当に僕に殺されたいのでなければもうしかけては来ないだろう。
 階段を下りていく途中、ふと気配に気づく。
 「……シュウユウの警護じゃないのかな?」
 誰にともなく囁く。しいていえば目の前の空気に。
 しかしそれに
 「…………申し訳ありません」
 す、と音もなく目の前に赤い衣装の忍者が降り立つ。天上に張り付いていたようだ。
 「趣味がいいとはいえないよ、カスミ」
 「…………申し訳、ありません……」
 消え去りそうな声で俯く。
 「ねえ、警護」
 「それは部下の者が。私はたまたま、だったのですが」
 「たまたま、僕と見知らぬ女性がいたのでつけてみた、と?」
 幾分の皮肉を込めて言うと、カスミの顔に朱が上る。
 「あ、いえ、でもそれは……!」
 「それは?」
 「あの、少女はケープの中にいくつか暗器をしこんでいたようなので、それで、無いとは思いながらももしお気づきでなかったら、とつい……」
 「……そう」
 まあ、確かにお気づきでなかったんだけど。
 穏便なお断りの言葉と謝罪の言葉の検索に、上辺だけでちっとも注意を払っていなかった。
 勿論相手はそれを期待して、あんな演技と、あと確実に人気のいないところへ誘えるようにとであんな場所で待ち伏せていたのだろう。 
 「まあ、じゃあ僕を心配してくれたんだね。ありがとう、カスミ」
 仕事を放り出したわけでもないようだし、だとすればこう言うしかない。むろん、彼女がそれ以外の思考もあっただろうことは分かっているが、それは言うべきことではない。
 「いえ、出すぎた真似を致しました……」
 「いいよもう」
 「あの、タクト様」
 「何。ていうか様はいらないって」
 「タクト様。もう一つ、出すぎた真似をしても宜しいでしょうか」
 「駄目」
 何をいっているのか悟り、即座に禁止する。
 「しかし、禍根は断つべきかと」
 「この禍根は、あの子一人を断ったところで消えはしない」
 「ですが……」
 「いいんだ」
 「……承りました」
 幾分強い調子で言うと、小さい吐息と共に恭しく頭を下げてくる。
 だから、僕はもう主君ではないのだけれど、と思いながらどうせ言っても無駄だろうと、別のことを口にする。
 「ありがとう……カスミ」
 「はい」
 「ご飯食べた?」
 「……は?」
 驚き、俯いていた顔を上げる。
 僕はそれに笑みを消して
 「お腹が空いた。まだなら一緒にどうかな?」
 真面目な顔で提案すると、カスミの表情が見る見る笑顔に変わる。
 「喜んでご一緒致します」
 本音8、演技2、というところか。
 どうやら抹殺は諦めてくれたようなので僕も安心して頷く
 「じゃあ行こうか」
 「はい」
 



 「やあ、ルック」
 「何、何か用」
 手近にハイ・ヨーのところで食事を取った後、残念そうに仕事があるので、と別れたカスミを見送っていつもの石版前。
 「飲む?」
 ルックの横に座りながら紅茶のパックを差し出す。
 「ていうか何勝手に座ってんの」
 「お話しましょう」
 「やれやれ……」
 いつもと変わらない笑顔のはずだが、何か思うところがあったのか、彼にしては珍しくさっさと横に座ってくれる。僕の手から奪ったのは紅茶ではなく、僕用の珈琲の方だったが。
 「あれ、そっち?」
 「……糖分が必要なようだからね」
 言ってとっとと封を開き口をつける。
 ちなみに珈琲は無糖。紅茶はミルクティーできっと砂糖たっぷり。
 「そんなに疲れてみえます?」
 「まあ、他のやつらは気づかないんじゃないの」
 「ってことは、ルック、やはり僕のことを気にかけているんですね」
 「何シュウユウみたいなこと言ってんの。馬鹿じゃない」
 心底嫌そうに顔をしかめるルック。が、動き出さないでもう一口珈琲を飲む。
 「……他の奴らは鈍感ってことだよ」
 「随分時間かけたわりにはキレのない」
 「五月蝿いよ。で、なんだって?」
 「ああ、なんでもないんですが」
 言いながら僕もまた封を開け、琥珀色の液体を口に含む。甘い。
 「やっぱり僕、恨まれてますね」
 「当たり前だろ」
 即答するルック。
 普通、何があったのかをもう少し聞くものだが、今はそれが心地よい。
 「一国落として。恨まれないわけがないだろう」
 「ですよねー」
 「で? 何? 巻き毛の少女に罵詈雑言あびせられたって?」
 「!?」
 さらりと告げられた言葉に、思わず身を引き凝視する。
 ルックは人の悪い笑顔でこちらを楽しげに眺めている。
 「何? 何で知っているのかって?」
 頷くと、また一口珈琲を含んでから
 「別に。ただ数十分前、唐突に近寄ってきたな、と思ったら『人殺しの、血まみれ英雄にさようなら、苦痛の人生をお祈りしておりますって伝えてくださいな』って言われたんだよ」
 「……」
 僕は恐らく今、苦虫を潰したような顔になっているのだろう。黙っていると
 「確かに伝えたよ? で、その子は十数分前に泣きながら走って行ったよ」
 「……ルック」
 やっぱりさらりと告げられた言葉に、思いっきり脱力する。
 「そんなことすると、ルックが女の子に延々説教して最後に泣かせたって噂になるよ」
 「それがなんだっていうのさ?」
 全く気にする様子もなく肩をすくめる。
 「むしろ、穏便過ぎたかな、と思っているしね」
 「ちょっと」
 フロムはそうとう気が強そうだったが、泣かされるほどの口撃で穏便とは。
 「あっちは刃物出してきたけど」
 「な」
 咄嗟にルックの身体を見る。すると不愉快そうに
 「あんな素人の攻撃なんて受けるわけないだろ」
 「ああ、失礼」
 「全くだね」
 「……」
 「……」
 しばし沈黙。
 別にそのつもりは無かったのだが、まさかこうまで筒抜けだと、まるで慰めて欲しくてきたようだ。
 さて、どうしましょうか。
 少し悩み。
 「……まあ、ありがとう」
 とりあえずお礼をいってみる。
 視線がこちらを向いた。
 「……何が」
 「さて、なんでしょう?」
 笑いかけると、ふん、と鼻をなさられた。が、機嫌は悪くなさそうだ。
 「ようやく戻ったようだね」
 「何がです?」
 「さて、何かな」
 フフン、と返される。ルックにしてはなんと言うかお茶目だ。
 「まあ、ともかく」
 ちゅーと珈琲を一口飲んで
 「ゆっくりしていっていいよ」
 おやおや
 「ありがとう」
 そう言って微笑むと、また鼻をならされた。
 甘い紅茶を、一口飲んだ。
 







          


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