073.甘く、優しく






 頼んでいた本が入ったと連絡が来たから、取りにいった。その帰り道。
 一人の少年が、図書館から出てきた。
 その手には辞書よりも分厚い本。
 本としてはかなりの重量がありそうなその本を、無造作に、だけど傷付けないように抱えて少年が歩く。
 湿気がおよそ感じられない、だからといって乾いているわけでもない、快晴という言葉に相応しい陽気。
 木の陰では非番らしき兵士達の和やかな談笑。木と茂みの間を縫うように小さな子供達が元気に走り回っている。
 戦時中ではあるけれど、間違いなく平和な光景。
 しかし、それらに一切目を向けることなく、ただ少年は前だけを見て歩き続ける。
 ゆったりとした足運びに見え、その実かなり早く歩いているが、急いだ様子のない、それどころか一切の表情がないようなその少年は、恐らくそれが元もとの歩く速度なのだろう。
 柔らかい土の上、殆ど足音を立てずに歩む少年、と、彼の丁度進行方向を、かなりの勢いで子供たちの集団が走ってきた。
 このままだと間違いなくぶつかる。あの子供たちは避けないだろう。わずかに苛立たしげに目を細め、やはり無言で数歩、脇にずれる。これでぶつからない。
 なんとなく本を抱えなおして、また歩き始める。
 そろそろすれ違う、というところで、走っていた子供の内、一人がべしっと勢い良く転んだ。
 派手な音を出して転んだのはまだ本当に小さい男の子。
 その場に座り込んで、火のついたように泣き出した。
 かかえた細い膝小僧からはわずかに血が出ており、それが男の子の泣き声をより拡大させている。
 一緒に走っていた子供たちも立ち止まり、大多数は心配そうに、極少数は笑うか、伝染して泣きそうに表情を歪めている。
 転んだ男の子を囲んで輪のようになった子供たち。
 その一切を視界に入れながら、少年は広がってしまった幅の分、また脇にそれて歩き出す。
 少年の表情に変化はない。一切の無表情。
 談笑していた兵士達が、子供好きなのだろうか。心配そうに眉をしかめてもたれていた木から体を起こし始める。うち一人は、なんの反応を示さない少年の方をどことなく不快そうに見ているが、何も言わない。
 その視線も感じながら、少年は前だけを見て、淡々と歩き続ける。
 子供たちの輪の横を通り過ぎた。

 「……いよお、うわあああああ……?」
 「だいじょうぶ? だいじょうぶ? ……あれ?」
 「けが、なおってるー!」
 「……いたくないー」
 「うわあ! なんでーよかったねー」
 「もうはしれるよね!」
 「うん!」
 「じゃあつづき!」
 「うん!」

 背後で交わされる甲高い会話も無視して。
 少年は足を止めず、ようやく目的地の城に入り込む。
 顔をほころばせて敬礼する見張りも相手にせず足を進め、倉庫の壁に格好をつけてもたれている探偵の眼前を通り過ぎたところで、初めて足を止めた。
 二人の少年が、立っていた。
 
 「優しいね」
 「ずるいー。さっき僕が噛まれた時は鼻で笑ったくせにー」
  
 共に赤い服を着て、にやにやと笑う少年達。
 
 「……何のこと。もう今日の戦闘は終わっただろ。用がないならそこ、どいてくれる」

 先程までの無表情が消え、代わりにはっきりと迷惑と顔に書いて本を抱えた少年が言う。
 
 「用はないけど」
 「僕達にももっと甘くして下さいよ」
 「邪魔なんだよね。僕は見ての通りこれから読書なわけ。いちいち言われなきゃ分からないの?」
 「じゃあ今日は皆で読書にしましょうか」
 「えー」
 「課題、どうせ出されているんでしょう?」
 「……まあね」
 「じゃあ決まり。じゃあ悪いけど最上階の部屋まで来てくれるよね?」
 「集団で個別の読書をすることに意義が見出せないんだけど」
 「仕方ないね、行ってあげるよ、だって」
 「おー。じゃあいくかー」
 「どういう言語変換機能なわけ」

 文句をいいながら。
 それでも二人の少年の後をついていく。
 こうして彼らが立ち去った後。
 
 「やれやれ、素直じゃないねぇ」

 黙って懐に抱いた猫を撫でながら探偵は、そう呟いた。
 全くもって、その通り。  

   









  *幻水部屋へ*