063.雷の落ちた日






 ――コンコン。
 静かな、しかし躊躇いのないノックに、スレイ軍の正軍師たるシュウは顔を上げた。
 近づいて来る足音が聞こえただろうか、と思いながら机の上にある重要書類をいくつかしまい、声をだす。
 「どうぞ」
 簡潔な言葉。
 いつもアップル達が報告に来る時間からは大分ズレている。来たい時間に来るシュウユウはそもそもノックをしない。
 一体誰だろう、と思いながら「失礼します」という言葉と共に開かれるドアを見つめる。
 「今日和、シュウ軍師殿。少々宜しいですか?」
 うっとりするような笑顔と共にそう言って現れたのは、見目麗しい少年。
 『トランの英雄』タクト・マクドール。
 「ええ、構いませんよ」
 あえて立たぬまま、薄い笑顔を浮かべて頷く。
 椅子を勧めようとして、はたと気付く。
 何故かこの部屋、椅子が一脚しかない。普段部下は立って報告をするし、主たるシュウユウは勝手にベットや、酷い時は机に座る。
 「ああ、よければ僕はこのままで。すぐ済みますから」
 シュウの思いを読み取ったのだろう。ゆったりと笑みを浮かべたまま先にタクトがそう言ってきた。
 「これはすみません。椅子を増やさねばいけませんね」
 苦笑するような表情を見せ、軽く頭を下げる。
 双方共に穏やかな顔。しかし、それは上辺だけ。
 普段から優しい笑顔を貼り付けているタクトがどう思っているのかは微妙だが、シュウは決してタクトを好ましくは思っていなかった。
 個人的にはともかく、軍師として、うとんでいる、というほどではないものの、簡潔に言えば一つの軍に二人の英雄はいらない、とシュウは思っている。ましてや、二人目の英雄は過去に、現在この軍に在籍する多くの将達を束ね、今尚カリスマに溢れるような者なら尚更。
 ただでさえ悪く言えば寄せ集め、といった感のあるこの軍に、分裂させるような因子はとてもではないが歓迎できない。
 まあ、そのあたりのことはタクトの方も重々承知しているようで、最初に挨拶に来たときに話はつけているのだが。
 「それで、なんの御用ですか?」
 とっとと終わらせようと、薄い笑みを浮かべたまま尋ねる。
 するとタクトは――かなりの確率で演技なのだろが――初めて困ったような表情を浮かべながら
 「三日前、シュウユウが僕に本を貸してくれたんです」
 「……は?」
 予想外の出だしに訝しげな声を出すシュウ。
 気にせずタクトは頷きながら
 「ハルモニア語の戦術指南の本だったんですけど」
 「……」
 ハルモニア語の戦術指南。
 話の流れが見え、眉をしかめるシュウ。
 「シュウユウが、『これ、なんかその本に書いてあること納得出来ないんだけど、ちょっと読んでみて、意見聞かせてよ』なんていうものですから、そのままその本を読んで、これはこういうことだけど、一体何が気に喰わないのかって話していたんです。実際、内容はかなり基本的な事ですし」
 「……ええ、そうですね」
 もとから薄かった笑みは消え去り、苦々しい面持ちで頷くシュウ。
 「……もうお分かりですよね。それで一通り本の内容を話していたら最後にシュウユウってば『ありがとう! これシュウからの課題だったんだけど読む手間省けた!』ってそれはそれは嬉しそうにしてやったりと」
 「……あいつは……」
 予想通りのオチに思わず右手で額を押さえるシュウ。
 「とりあえず僕もその場で怒ったんですけどね。これじゃ勉強にならないって。でもどうも反省が足りないようなのでここは一つシュウ軍師殿に怒っていただこうと思いまして」
 困ったような顔のまま笑うタクト。
 「それに、この間なんか書類手伝わない?って持ちかけられましたから。信用してくれるのは嬉しいんですけど、やっぱり問題だと思うので。ああ、勿論断りましたよ?」
 ある意味追い討ちをかけるようなその言葉にひきつるシュウの顔を沈痛そうな面持ちで見ながらタクトは一礼し
 「それでは僕はこれで。お時間をとらせてすみませんでした」
 優雅に退出していく。
 そして、部屋にはシュウだけが残される。
 ゆっくりと視線を動かし、机の上にあるいくつかの資料の中から一枚の髪を取り出す。
 それは、シュウがシュウユウに出した課題のレポート。
 ハルモニア語で書かれた戦術指南書。
 彼にしては珍しくかなりの余裕をもった提出で、内容もちゃんと本を理解していないと書けない内容。上出来、といっていいそのレポートに、自分は喜んだのに。
 「……くくっ」
 思わず笑いがこみ上げてくる。
 異様に丁寧な手つきでレポートを懐にしまいこみ。
 上着を羽織ながら部屋を出る。
 「ちょっと、出てくる。もしシュウユウが来たらなんとしても引き止めろ」
 顔を見るなり、何故かやたら怯えた表情になった見張りの兵にそう告げ、まっすぐエレベーターに向う。
 部屋にはいないだろう。まずは石版前だ。
 暗い暗い笑みを浮かべたまま、チンっと軽い音を立てて上ってきたエレベーターに入る。



 シュウユウに特大の雷が落ちるのはあと数十分後。








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