042.出会いと別れと紋章と






 本当に、鬱陶しい奴だった。
 お前に出会った事、本当に後悔しているよ。
 もう夜の闇に溶け込んで、見分けるのが難しくなった広がる黒髪をただただ見つめる。
 だから、俺に近づくなと何度も何度も言ったのに。
 何度も差し伸べられた手。
 そのことごとくを無視して、無視して。
 お前は淋しそうに笑うくせに、それでも懲りずについてきて。
 何度も帰れと言ったのに。
 グローブから覗く白く細い手。
 その手はもう弓を引くことも、俺に伸ばされる事もない。
 ああ、なんでこうなったんだろう。
 こうならないように、ずっと否定し、拒否しつづけていたのに。
 心を開かぬよう、ずっと目を背けていたのに。
 お前も悪いんだぞ。
 あまりにもずっとついてくるから、もうどうしようもなくて、俺の年も、この右手に宿る忌々しい紋章のことも、話してやったのに。
 なのにお前ときたら。
 だから大人っぽいんだね、なんて言って笑いやがって。
 翌日も、変わらずあれこれ一人でしゃべりながらついてきて。
 信じられない馬鹿だと思った。
 だからそう言った。なるべく辛辣に。
 そうしたら、ありがとう、なんて言いやがって。
 何度も帰れと言ったのに。
 結局、こんな別れ。
 人によってはある意味別れではないと言うかもしれないが、俺にとっては別れだ。
 夜風にさらされ、濡れている頬が、顎が、首が冷たい。
 でも、お前はもっと冷たいんだろうな。
 すっかり冷えた身体の中、そこだけが熱い右手を伸ばす。
 熱が移るかなと思い触れた身体は、ちょうど、周りの気温と同じぐらいになっていた。
 「……この、馬鹿……」
 声を出さないよう歯を食いしばっていたのに、漏れてしまった声はいっそ笑えるほど嗚咽が混ざり、ほとんど意味不明な発音になっていた。
 昼間から、ずっと、ずっと立ち尽くしていたけれど、自分はともかく、いつまでもお前をここままにはしておけない。
 本当なら、実家に、でなければ島に還すのがいいのだろう。
 だけど、俺はお前の出身地なんて知らない。
 それに、今の季節がいくら寒いとはいえ、あまり長距離を移動させられないだろう。
 拠点としていた土地や、お前のいた森。どちらにせよ、若干遠すぎる。
 ……悪いが、近場の森で我慢してくれ……。
 もはや魂など宿っているはずもない、だけど確かにお前だった、傷一つない身体を起こそうと、左手も伸ばす。そいえば、倒れたそのまま、うつ伏せにしていたままでいたのも悪かったかと思いつつ。
 「……っ!」
 そっと起こしたその身体。その顔を見て息を呑む。
 信じられない。
 なんで笑っているんだ?
 薄く開いたままの瞳はどんよりと濁り、もう何も映していないのけれど、その目元も眉も口も。
 暗い闇の中、白く浮かぶ表情を間違える事ができないくらい、笑みを形どっていて。
 本当に、馬鹿じゃないか?
 また、頬を最初は熱く、しかしすぐに冷やされ、冷たくなるものが通る。
 片手で身体を支え、残った手で硬直した瞼をほとんど力技で閉じる。
 そのまま一気に身体を抱き上げる。
 自分より大きなその身体はずっしりと重く、自分の罪を実感させられる。
 「……悪い、さっきのなしな。お前は、悪くないわ。全部、俺の責任だ」
 下を向くと、水滴が服に染みてしまうから、上を向いたまま懺悔する。
 そして、頼りない月明かりを、それでも頼りに歩き出す。
 「…………………………ありがとう」
 ああ、俺と、この呪われた紋章に、災いあれ。
            









  *幻水部屋へ*